僕が漫才で”それ”を描く理由

 テーマパークにどっぷり浸かっているあなたにも問題がある。

 ピカソのゲルニカは反戦を訴えている。あなたが美術館でそれを見ても「反戦を訴えている絵なんですって」という情報で終わり、いま世界で紛争が起きていることにまで関心はいかない。あなたの関心は“絵”で止まる。メッセージは受け取らない。

 ドイツに行ってきた友達も「アンネ・フランクの家の展示に行ってきた」と言っていたけど、それで話は終わった。”行ってきた”ということだけ。

「それで?」と言うと「大変だったんだろうな。いまの平和な時代をアンネにも見せたかった」と言った。それに対して「いまシリアで同じような思いをしている女の子がいるよ」と言ったけど、彼女は「ふーん」と言ってスマホを開き、モデルたちの動画を見始めた。

 いまバンクシー展がやっているけど、それもバンクシーには興味があるが、バンクシーのメッセージには興味がない。メッセージというのは「あっちを見てごらん」と悲劇の起きているほうを指差して見せるものだと思っている。でも、美術館や個展ではもう響かない。ニュースで悲しい出来事を流すようなもので、何も感じなくなっている。

 だからバンクシーは壁に描くんだと思う。これは彼なりのテロだ。飾るべきところに飾っても、飾ることが許されている場所だ。だから許されてない場所に描き、賛否両論から火を起こす。

 おれもそうだ。おれは兼ねてから、ニュースはただの映像で、新聞はただの文字になっていると思っていた。それらに慣れすぎて、そこから悲劇を感じなくなった。新聞やニュースはそれをやる場所だから。

 だから僕は漫才でそれを描くことにした。ありがたいことに漫才は、先人たちが「考えずに笑えるもの」という空気をつくってくれた。ほかの漫才師が、「野球選手になりたくてね~一回やってみよ」とか「医者やるからナースやって」とか言っているところに、みんなが目を背けている悲劇をドンっ!だ。おれは、テーマパークの中に逃げようとするあなたに、最高の現実を見せたいだけなんだ。

 日本人がバンクシーについて、壁に落書きをする軽犯罪者と言っていると聞いた。めちゃくちゃ笑った。その日本人たちが滑稽すぎて。

 バンクシーのパレスチナの絵を見たことがあるのか? 有名なものに、イスラエル軍の軍事占領とその攻撃に投石で抗議したパレスチナの抗議運動をモチーフにした絵がある。男の手に、石ではなく花束を持たせたものだ。

 この地には複数のバンクシーの絵があり、イスラエル政府が国連から国際法違反と人権侵害を非難されながら強行建設を続ける「分離壁」にも彼は絵を残した。

 その壁に描いた絵を軽犯罪と言うのか? 壁の表面を見て、その壁の奥で行われている大罪のことは見ない。その奥が見えない日本人には、アートは貫通しない。壁に落書きをするのは良くない、と言って終わらせる。

この国の最大の悲劇は、国民の無関心だ

 無関心なのはテーマパークの中にいすぎたせいだ。テーマパークの外では誰かが痛みを抑えている。誰かが悲鳴をあげても、「わがままだ」「自己責任だ」と言って聞こえないふり。痛み止めを出す芸人も、テーマパークに来る無関心なお客さんを踊りで魅了することに必死だ。

 キング牧師「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。」
 ガンジー「無関心は暴力より卑劣である。」

 この国の最大の悲劇は、国民の無関心と芸人の沈黙だ。僕はそこに喜劇があると思っている。

(本原稿は、村本大輔著『おれは無関心なあなたを傷つけたい』からの抜粋です)