便利でありがたい商品だが、透けて見える社会の刷り込み

 「お母さん食堂」の名称はともかく、そのラインアップは個人的には嫌いではない。

 コンビニの総菜といえば少し前までは「おいしくない」というイメージが強かったが、そのような印象を払拭しようと商品開発に力を注ぎ、「まるで実家で食べているような、温かみのある食事」を味わってもらおうと「お母さん食堂」と名付けたのだろう。企業側の営業努力は推察するし、料理の苦手な人や忙しい人にとって便利でありがたい商品だと思う。

 コンビニのメインターゲットは20〜40代の単身者であろうことを考えると「お母さん食堂」が「お母さんの作るような食事を食べたい人」に向けてマーケティングされたことはわかる。ただ、そこにはやはり「私作る人、僕食べる人」と同じような役割分担を感じてしまう。

 昨年は、スーパーで「母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだ」と言われた女性を目にしたというツイートが大拡散され、大きな話題となった。実際に、「母親なら手抜きをするな」「愛情のこもった手作り料理を作れ」という風潮はまだ強い。また、母親自身がその価値観を内面化し「出来合いの総菜ばかりでは、子どもがかわいそう」と思っていることも多い。「お母さん食堂」が、お母さんのための食堂と思える世の中ならよかったと思う。

 ツイッター上でも指摘されているが、女性と料理が「お母さん」というイメージで結びつけられるのに対し、ラーメンやカレーなどのパッケージに印刷されるのは料理人の男性たちである。女性の料理=無償労働、男性の料理=有償労働であるという社会の刷り込みはあるのだ。

嘲笑や冷笑では何も変わらない

 高校生らは、12月28日の加筆で再度「『お母さん食堂』という名称があることで、お母さん=料理・食事というイメージがますます定着し、母親の負担が増えることになると考えています」「今後も性別によって役割が決まったり、何かを諦めたりする世の中になる可能性が強くなることはとても問題だと思います」「この提案は、決してファミリーマート一社だけを批判するものではありません」と書いている。

 つまり、社会の認識や構造自体を変えていきたいという問題提起であり、単にファミマ一社をやり玉にあげたいわけではないということだろう。そのような構造自体への指摘をあえて無視し、大人たちが高校生の活動を「暴力的だ」と集団で封じようとする。その暴力性を大人が自覚してほしい。

 もちろん、ネット上では高校生たちの取り組みに賛同し、励ました大人たちもいた。

 批評家の北村紗衣氏は、署名サイトで

「2015年に国会前安保法制反対抗議で行われたSEALDSの「帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さん」演説を批判して強い攻撃を受けた者です」(原文ママ)

 と名乗り、下記のように書き込んだ。

「偉そうで恐縮ですが、経験者として申し上げます。あなた方がやっていることはひどい攻撃を受けると思いますが、ほとんどは女性や若者が意見を言うだけで文句をつけてくる、重みのない言葉を発するだけの人たちですから、気にすることはありません。あなた方の目的が今達成されなくても、あなた方がやったことは誰かが世の中を良くするための足がかりになります」

 日本語学者の飯間浩明氏は、言語のジェンダー性を研究しておらず、これまでのこの名称に問題意識を持っていなかったとしながらも、下記のようにTwitterで言及している。

「『こういった商品名は、少なくとも今後は避けたほうがいいだろう』という意見を持ちます。理由は、程度の大小はともかく、性役割の固定化に貢献することになるからです」
「『お母さん食堂』という商品名が、ただちに大きな問題を引き起こすとは言えません。むしろこの名称は、料理する母への懐かしい気持ち、親愛の気持ちを呼び起こします。その一方で、『母=料理する人』という鮮明なイメージを与えています。この点で、確かに性役割の固定化に貢献しています」(参照ツイート

 声を上げた人を集団でたたく行動は、その後に声を上げようとする人に対しても影響力を持つ。「声を上げたらたたかれる」とわかっていて声を上げられる人は多くはないだろう。しかし、中には真摯に受け止める人もいて、世の中は少しずつ変わっていく。

 嘲笑や冷笑は現状の追認であり思考停止だ。高校生に声を上げる役を担わせている世の中であることを、大人は自覚すべきだ。