指導者では教えられない本物の笑顔
「普通の学校の生徒は、楽器から口を離した一瞬だけニカッと笑う。でも、橘の生徒いうたら、吹きながらずっと顔の上半分が笑っとる」と、関西マーチングバンドのカリスマと言われる山本富男先生に評されたほどの笑顔です。
どんなにタフで激しいパフォーマンスでも、本気の笑顔を絶やさない。生徒たち自身もそれを誇りとし、伝統として守っています。
しかし、オレンジの悪魔たちはタレントではなく高校生。本番のときにだけ急に笑顔をつくることはできません。そこで練習のときから笑顔を心がけるわけですが、入部したての1年生は演奏に精一杯で、マーチングの動きについていくのもおぼつかない状態です。笑顔どころの話ではありません。
そんな生徒たちに、顧問である私から「笑いなさい」と言ったことは一度もないのです。
マーチング担当のコーチが「顔が怖いぞ!」と檄を飛ばすことはありますが、1年生の笑顔を育てているのは上級生です。
汗みずくになっての必死の練習は、上級生たちにとっても苛烈なものです。特に吹奏楽部の大きなイベントは夏から秋にかけてが多い。4月からスタートした練習は、ゴールデンウィークを越えた頃から暑さとの戦いともなります。
自分もかろうじて笑っていられる状態なのに、それでも「笑ってぇー!」と1年生に声をかける上級生。弱い生徒が弱い生徒を“弱弱指導”しているのです。
もちろん弱弱指導は、物語のようにはうまくいきません。1年生は入ったばかりの心細さに加えて、技術的な難しさに直面して、極度の疲労にまみれています。「笑ってぇー!」と声をかけられても、涙をこらえるのがやっとの状態。それでもなんとか笑顔をつくろうとするのですが、歪んだ泣き笑いのような顔しかできません。
この泣き笑いが少しずつ変化していくのは、上級生が声をかけ続け、下級生がそれに応えようとがんばるからです。やがて「笑って」と言われなくても、自然に笑顔がこみ上げてくるようになる、その頃には、チームとして強くなっている―これこそが弱弱指導の本質です。
橘ファンの中には、「弱弱指導? あの、エネルギッシュでパワーがあるオレンジの悪魔が弱いの?」と、違和感を覚える方もいるかもしれません。確かに悪魔たちは弱さなど微塵も感じさせない情熱的な演技・演奏をします。
しかし、それはもともと強いからではありません。練習にすらついていけない弱い新入部員が、自分もかつては弱かった上級生によって強くなっていくのです。
そして、上級生と言ってもまだ高校生。大人よりは圧倒的に弱い――だからこそ、弱い新入部員への指導が、強い大人の私たちよりもうまいのだと思います。
部活動という特殊な場の“権力者”である私やコーチが「笑顔をつくれ!」と命じたところで、絶対に生まれないものが、目も眉毛も、おでこすら笑っている「橘スマイル」なのです。
笑顔は、自分自身が楽しんでいるからこそ出てくるのです。「自分が楽しまないことには、人を楽しませられない」というのは、演奏者でもある私の根本的な考え方です。