自分を「取り繕う生き方」をしてはならない
僕の「傷口」は、京大アメフト時代につくったものです。
それを見て見ぬ振りをして、放置したまま生きてきたがために、「傷口」は治ることなく、グジュグジュと疼き続けていました。いや、テレビ局でチヤホヤされればされるほど、実は、その「傷口」は悪化していたのです。
なぜなら、僕がTBSに就職することができたのは、僕の実力ではなく、京大アメフト部に所属していたおかげだからです。京大アメフト部は「名門」として知られ、名将・水野弥一監督の指導のもと徹底的に鍛えられた卒業生は、社会の各界で大活躍をしていました。そのブランド力のおかげで、僕はTBSに入ることができたのです。
しかし、僕はアメフトというスポーツに対して“後ろめたさ”のようなものをずっと感じていました。
もちろん、僕は、アメフト部の厳しい練習を休んだことはなかったし、口では「大学日本一になる」と言い続けていました。しかし、実際には、自分自身の限界を超えた「もうひと頑張り」をしてはいませんでした。要するに、本当のところは、「本気」ではなかったのです。
そのことを監督には見抜かれていましたし、僕自身、心の底ではわかっていました。日本一になれなかったのではなく、日本一を本気でめざしていなかった自分がいることは自分でわかっていたんです。
だけど、その事実に向き合うのを避けるために、どこかで中途半端な自分を取り繕いながら生きていました。そして、結局、日本一になることはできず、不完全燃焼のまま卒業。にもかかわらず、ラッキーなことにTBSに入社することができたというわけです。
テレビ局ではスポーツ番組の担当になりました。
京大アメフト部出身であれば、アスリートに寄り添った「よい番組」が作れるだろうという判断があったからでしょう。それは僕の希望でもあったので、とても嬉しかったですし、やる気満々で仕事に取り組みました。
だけど、それは同時に、「取り繕っている自分」を否が応でも認識させられることでもありました。
なぜなら、アスリートはひとりの例外もなく、毎日毎日、自分自身と向き合い、自分自身の限界を超えた「もうひと頑張り」をやり続けているからです。もっと言えば、血ヘドを吐く思いで努力を続けておられるのです。そんな「本物」を前にするのは、「自分は偽物である」という事実と向き合わされることでもありましたが、それすらもごまかして、日々をやり過ごす自分がいたのです。
一切の妥協なく、
「本気」でやり切る
そんな僕の「傷口」をえぐったのが、あの飲食店経営者の言葉でした。
そのままテレビ局にいれば、恵まれた環境でチヤホヤされながら生きていけるのでしょうが、そんなことのために、もうこれ以上、自分を取り繕いながら生きるのはイヤだと思いました。それで大事な一生を終えるのはイヤでしたし、あまりにも“カッコ悪い”生き方に思えたのです。
だから、アメフトに対して「本気」で取り組まなかった自分が、京大アメフト部出身という理由でテレビ局に採用されたという「原点」を否定して、もう一度ゼロから何かに「本気」で取り組みたいと思いました。
あの経営者が「血ヘドを吐いて泥水も呑んで」頑張ったように、自分も一切の妥協なく「本気」で何事かを成し遂げたい。そして、心に曇りなく、胸を張って生きていきたいと思ったのです。
そして、ちょうどそんな思いが募っていたときに、プルデンシャル生命保険に勤めている京大アメフト部の同級生から「一緒に働かないか?」と誘われ、「会社の“看板”がまったく通用しない生命保険セールスという世界で、全力を出し尽くして、圧倒的な結果を出してやろう」「日本一の営業会社であるプルデンシャル生命保険で、日本一になってみせる」と転職を決断したのです。
だから、ハードワークは僕の望むところでした。
「量」をこなすために必要であれば、会社に寝泊まりしてでもやれる限りのことをする。それこそが、僕自身が抱えていた「精神的な問題」を解決する唯一の方法だったからです。まぁ、僕の周りに「そこまでしなくてもいいだろ」と思う人がいたのももっともなことだとは思いますが、僕の個人的な問題から、自ら望んでハードワークに飛び込んでいったわけです。