帰省が唯一の選択肢ではない
春節の過ごし方も多様化へ
冒頭で述べたように、「春節がつまらない」と言うのは若い層が多い。なぜなら、春節の集まりに行くと、親戚たちから仕事のことや結婚のことなどを聞かれるからだ。だから、ひと昔前は故郷に帰るのを恐れる「恐帰族」という言葉もあった。
もちろん理由はそれだけではない。コストの問題もある。数年前に中国人の友人から「春節に帰るのは、本当にお金がかかるんです。交通費もバカにならないし、お土産も買わなければならないし」と打ち明けられた。
それに対し、高齢者にとって春節は「楽しみ」だ。彼らは春節の集まりに参加すると、他の親戚と世間話や思い出話に花を咲かせている。ある意味仕方なく参加している若者にとっては、春節の集まりは1つの「儀式」だ。というのは、一家で親戚を訪問するのと自分たち夫婦だけで訪問するのとでは重みが違うからだ。一家で訪問された親戚は「それほど私のことを大切に思ってくれているのか」といい気分になる。それは中国の「メンツ」主義が大いに関係していると思う。
親戚の集まりに義務的に参加している若者はずっと下を向いて、携帯の画面を見ているか、若者同士で世間話をしている。食事が終わったら、自分の行きたいところに行く若者もいる。
コロナ禍の影響でネット上での新年の挨拶も市民権を得るようになり、今年もその方法を用いた中国人は少なくない。昨年からのコロナ禍は春節の過ごし方の多様化を加速したきっかけになったと思う。これまでは「仕事」のように親戚の集まりに参加していた若者の春節の過ごし方も、今後変わるのではないかと思う。
春節消費の変化は、その多様化の1つであると筆者は考える。
(フリーライター 吉田陽介)