会食が始まり、この懸案をどのように話し合うのかと思っていたら、社長二人はずっとゴルフの話をしている。いわく、「昔見た全米オープンのアーノルド・パーマーと青木功のプレーはすごかった。でもやっぱり、パーマーと青木との差はかなりあったね。これからアメリカに参戦する石川遼君のフォーム改善は、中嶋常幸と同じで失敗するからやめた方がよい。中嶋は世界で戦うには、いろいろやるより青木のパンチショットで球筋をコントロールする方法を学んだほうがよかったね、そうだそうだ……」
終始こんな具合で提携の話どころか、一般的な仕事の話さえ一切話題に上らない。会食時間も終わりが近くなり、さすがにこれはまずいのではないかと思って、相手先の社長がトイレに立たれた際に、「あの話はしなくていいのですか……」と尋ねた。すると、「もう話は済んだ」とおっしゃるではないか。そして相手が席に戻ると、何事もなかったかのように、今度はそれぞれのゴルフのフォームについて評価しあっている。そして会食は終わってしまった。
「これはまずい」と私はひたすら焦りまくっていたのだが、翌日会社に行ってみると、平和な空気が流れている。そして、1週間後には無事、提携が成立した。
種明かしをすれば、社長同士は、ゴルフの話をしながら、その実、会社の提携交渉の話をしていたのだ――。アーノルド・パーマーはその領域で世界最大のA企業のことであり、青木は日本では最大手の私が立会係としてついていた会社のこと。石川遼は技術力で新たに参入してきた別の会社のことを指し、中嶋常幸は少し前に一世を風靡(ふうび)したが、その後多角化で失敗した提携候補先企業のことを指していた。
つまり、ゴルフのニュースになぞらえながら、提携することのメリットを伝えていたのだ。世界最大のA企業の対日攻勢は確実に本格化する。日本最大の弊社といえども、それなりには対抗できるが、このままだと確実に負ける(青木がパーマーに負けたように)。さらには新しい参入企業は有望に見えるが、日本において確固たる地位もなく、まだ体力もついていない段階で米国市場に参入しようとするのは無謀であり、必ず失敗する。提携候補会社もかつて失敗をしたので(中嶋常幸がそうであったように)、これから再度力を付け直さなくてはならない。
青木の正確なコントロールショットというのは弊社の生産管理能力であり、細かいことはさておき、中嶋はそれを無条件で学ぶ(一緒にビジネスを行う)ことで共同歩調をとり、パーマーに対抗することに合意したということだったのである。「君はあの場にいて、そんなことも分からなかったのかね」と叱られながら、あとで社長に解説してもらった。
この会食の場において、初めからゴルフの話で提携交渉が行われると決まっていたわけではない。場の空気に敏感な二人の社長のとっさのアドリブと比喩の応酬の中で、その場限りの会話のルールが水面下で生成されていたのである。柔らかなほほ笑みの裏に隠された緊迫した高度な意味の伝達空間が二人の間に築かれていたのだ。その場の雰囲気や食べ物のおいしさ、部屋の色彩、温度などにも大きく左右されていたはずだ。いま思い返してもなかなかしびれる場面であった。
今の経営者はこのような比喩的なコミュニケーションを好まないかもしれないが、感性レベルの高い人というのはこのくらいは当たり前のようにやってのける。とはいえ、オンラインではまだしばらく、このような場を作ることは難しいだろう。