過去に比べ、アフリカの紛争は減少傾向にある。しかし、依然として国連平和維持活動(PKO)の半数がアフリカに集中し、難民の数も膨大だ。
紛争の原因はさまざまだが、第二次世界大戦後まで列強、つまり欧米諸国がアフリカを支配していたことに主因がある。
約900もの民族がひしめくアフリカ大陸だが、列強は彼らの生活を無視し自らの都合で、国境を線引きした。また、効率的に支配するために、一部の少数民族を支配者側に取り込み、優遇したケースもあった。それが今でも尾を引いているのだ。
映画にもなったルワンダでの虐殺はその典型例だろう。ドイツやベルギーが少数民族のツチを優遇したために、後にフツの恨みを買い80万もの人びとが殺されたのだ。
一方、近年では原油や食料などの資源価格が高騰していることも紛争の原因となっている。
ナイジェリアでは欧米の石油メジャーがナイジェリア人の権益を不当に奪っているとして資源ナショナリズムともいえる民族運動が頻発。暴動のニュースが流れるたびに原油の国際価格が乱高下している。
また、アフリカ諸国は食料の多くを輸入に頼るため、食料価格の値上がりを理由に暴動が多発し、死者も出ている。最近だけでも、エジプト、エチオピア、モロッコ、カメルーンなどなどの名前が挙がる。
反対に資源価格の高騰で政情が安定するケースもある。
たとえば、アルジェリアでは反政府組織によるテロが頻発していたが、資源価格高騰により力をつけた政府が鎮圧に成功した。特集の冒頭で紹介した鹿島や伊藤忠商事が受注した巨大道路プロジェクトも1987年に決まっていたが、テロのため停止していた。近年情勢が安定し復活したというわけだ。
このようにアフリカには、安全な地域とそうでない地域がまだら模様になっているのだ。
地理的に遠く離れていること、情報が少ないことなどから、日本ではアフリカ大陸というと即、飢餓や紛争、難民のイメージを結び付けてしまう傾向がある。
しかし、アフリカでのビジネスに長くかかわってきた加藤裕・伊藤忠商事執行役員機械カンパニー産機ソリューション部門長は「そもそも、アフリカ大陸全体をひとくくりに見てはいけない」と説く。
たとえば、北部のチュニジア、アルジェリア、モロッコなど「マグレブ」と呼ばれる地域の街並みはヨーロッパに近く、比較的安全だ。紛争は、サハラ砂漠より南の「サブサハラ」地域に集中しているのだ。
また、アフリカ大陸随一の大国、南アフリカ共和国内部には先進国並みに治安のよい地域もあれば、非常に危険な地域もある。特に、最近では政情が不安定なジンバブエから流入した難民への排斥運動が起こり、40人以上が死亡している。アフリカといってもいろいろなのである。
(『週刊ダイヤモンド』編集部 清水量介)