文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。東日本大震災から10年がたちます。実は、震災直後から東北の道路復興に尽力していた国交省職員は、「想定外」を想定していました。当時の教訓を振り返ります。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)
未曽有の大地震発生に呆然
学生時代の友人を探して
東日本大震災からはや10年。「想定外」という言葉が当時流行しました。こんな津波は想定していなかった。だから原発事故は起きた、などと――。今回のコロナ禍においても、またしても「想定外」が連発されています。
しかし、危機管理は国家や組織の根幹です。何かが起きたら、すべてを「想定外」にしていたのでは、大被害が生じた責任がうやむやになるだけです。
私は、東日本大震災当時、月刊『文芸春秋』の編集長をしていました。そしてただ1人、この大津波を「想定外」にせず、きちんとした準備をしていた人のことを知りました。
その人の名は熊谷順子さん。国土交通省東北整備局の防災課長だった女性です。
震災が起きた直後、編集長として私は呆然としていました。月刊誌のように、締め切りまで時間があるメディアは、1カ月後にどういう事態になっているかを予想しながら企画を考えないと、新聞、テレビはもちろんのこと、週刊誌にも敵いません。