能の目的は
人を幸福にすること
さて、世阿弥が重視しているのは、能楽の存在理由である。彼は「人を幸せにするのが芸能の目的。芸能は人々の幸福を増長し、その寿命までを延ばすもの」と考えていた。
能に初心を忘れずして、時に應じ、所によりて、愚かなる眼にもげにもと思うやうに能をせん事、これ壽福なり
(能の初心を忘れず、ときに応じ、場所に応じ、芸のよし悪しがわからない人にも「素晴らしい」と思えるような能をすることこそ、人を幸福にする一流の芸人への道なのです)
父であり師匠である観阿弥はどんな田舎や山里のはずれにいっても、すべての観客の心をつかみ、その場所で好かれる芸を行った。
世阿弥は、能楽師たるもの、そのようにすべての人を幸福にしようとする気持ちが大事で、たとえ時流に合わず落ち目になったとしても、その気持ちを忘れずに努力をつづければ、花は失われず能の道が絶えることはないと言う。
現代に置き換えれば、ビジネスの潮流はDXやAIやデータアナリシス中心となり、コロナによるテレワークの普及も相まって、今の中高年が若手だった頃から、ビジネスシーンは別世界のように変わってしまった。かつて花を咲かせていた人、花を失うまいと努力していた人も、それはしょせん時分の花だったのかと寂しく思うこともあるかもしれない。
しかし、もしわれわれの日々の仕事が、人を幸福にするためにあり(どんな仕事であっても、直接的にではなくても、必ず何かの役に立ち、誰かの幸せにつながっているはずである)、そのためにいくつであっても、できる限り技術を磨き、新しいものを作り続けようとするならば、その人は花を失うことはなく、決して賞味期限切れになどならないということなのだ。なんと勇気のわく言葉であろうか。
このように世阿弥の『風姿花伝』は、芸術書であるばかりでなく、一座を率いて繁栄に導いた組織のトップの言葉として、経営やマネジメントに応用できる実践的な戦術書であり、一人の人間として生きる際に勇気をくれる啓発書でもある。花の作り方についての詳細な記述もあるから、人材育成の教科書でもある。そして、周りとの関係性の作り方が変わったwithコロナの今だからこそ読むべき卓越した哲学書ともいえるだろう。
世阿弥の慧眼、おそるべしである。「お芸術」についての空理空論が書かれている古くさい本だと勘違いして遠ざけるのはあまりにももったいない。
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)