憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」という文言は、制定過程から見れば「最低限度ではあるけれど、健康で文化的な生活」と解釈すべきである。そのことは、憲法の公定英文訳を見れば明らかだ。その「健康」や「文化」は、具体的なモノやコトやサービスを必ず伴う。しかし判決の要旨によれば、最低限度の生活は「抽象的かつ相対的な概念」であり、「国の財政事情を無視できない」「専門的技術的な考察と政策的判断を必要とする」のである。そして、厚労大臣が有している裁量権は、このようなものであるという。

 厚労大臣は、生活保護の「専門家」とはいえない。厚労官僚には、大臣よりは豊富な知識と高い専門性があるかもしれないが、やはり「専門家」とは言えないことが多い。だから、社保審・生活保護基準部会のような専門家会議が存在する。専門家たちの見解と全く異なる結論を出すことは、厚労大臣といえども無理筋だ。しかし判決文は、厚労大臣が専門家の意見を聞いて全く異なる判断をする「裁量」を、裁量権の範囲にあるものとして認めている。

ポジティブな経済的インパクトを
もたらすことができなかった

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 視点を変え、判決がもたらし得るインパクトの内容を見てみよう。まず、国を敗訴させると財政支出を強いることになる。生活保護基準と連動する制度は多数あるため、生活保護基準を2013年度初めと同水準に戻すと、支出の総額は少なくとも5000億円程度になるであろう。しかも増加した支出は、その後も毎年維持される。財政への影響の大きさから、裁判長は「同性婚訴訟と同じように原告を勝訴させるわけにはいかない」と考えたのかもしれない。

 しかし、生活保護基準が2013年度初めと同水準に戻ると、生活保護世帯だけではなく、低所得層全体が何らかの経済的恩恵を受け、消費が活性化する。低所得層の、小規模ながら確実に続く「内需」拡大は、日本経済にジワジワと好影響を与え続けるはずである。

 その経済的インパクトは、「人付き合いを増やして孤立を軽減する」という社会的インパクトにつながる。「人権面から日本を見直そう」という国際的な動きにもつながるだろう。間違いなく、日本にポジティブなインパクトがもたらされるはずである。

 なぜ、裁判長はこの機会を生かさなかったのか。筆者は残念でならない。

(フリーランス・ライター みわよしこ)