赤ちゃんは「超能力」では育てられない
ネコを飼いはじめたころ、しょっちゅう夫とケンカした。夫はネコをどう扱っていいかわからず、ときどき力まかせに押さえ込んだ。
すると爪で引っかかれ、私に叱られた。夫はネコの世話を一から覚えなくてはならず、私は全部わかっていたので、自然と主に私の仕事になった。
ネコに薬を飲ませる係を夫に頼んだところ、ラクになるどころか、全員がストレスをつのらせた。うまくやれない夫も大変だし、慣れない手つきにネコも大変そうで、見ている私もつらかった。
できれば自分でやりたかったけれど、毎日朝晩飲ませなくてはならず、どうしても私ができないときには、夫一人でもケアできるようにしておかなくてはいけない。
夫にはネコとコミュニケーションを取ろうという意志があり、お互い時間も十分あったので、時間をかけて少しずつ教えた。いまでは夫もネコを世話できるようになった。
これは、ひょっとしたら親として、子どもを産んで育てていくプロセスと似ているかもしれないと、ぼんやり思った。しょっちゅうやる人は上手になるし、上手な人がいれば、もういっぽうは自分でやり方を探るより、相手から教えてもらうようになる。
中心軸はだんだんと傾いて、どちらかがお願いし、どちらかがそれに従うかたちになる。母親のほうが、赤ん坊がむずかる理由をわかってやれるのは、その分、世話をしているからだと思うのだ。生まれつきの「超能力」の母性なんかじゃなくて。
「妻のほうが子どもの面倒を見るのがうまいから」「ママのほうになついてるから」という言い訳は、自分は子育てに主体的に関わってこなかったと言っているのと同じではないだろうか。
先日、偶然会った新米ママ全員から、同じような苦労話を打ち明けられた。
「間違いなく夫のほうが体を動かしてがんばってくれてるんだけど……。どこの幼稚園に入れるか、どう教育すべきか、メニューはどうやって決めるか。そういうことを考えて、夫にやらせてほめてあげるのは、私の役目なんですよね」
いざ夫に任せるとなると、母親としては心もとないかもしれない。
でも夫も父親として、言われたことをやるだけでなく、養育者としてとことん悩むべきだし、妻も自分が経験してきたたくさんの「初めてのこと」を夫にも任せてみるべきだ。
もし役割分担をして、すべての過程をどちらかがリードするのであれば、二人の合意が必要だ。妻だから、母親だから、女性だから、当然しなくてはいけないわけでも、当然うまくできるということでもないのだから。
(本原稿は『フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感について──言葉にならないモヤモヤを1つ1つ「全部」整理してみた』からの抜粋です)