「穢れの思想」は事実と無関係
人々の心に由来する

「穢れの思想」がやっかいなのは、それが科学的な事実や根拠ではなく、人々の心に由来するものだからである。例えば3・11の東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故により、福島県の農産物は大きな影響を受けた。中には風評被害と言われるものもたくさんある。

 例えば福島県産の米について言えば、福島県では、「全量全袋検査」といって県内で生産された全ての米について放射線量を測定している。年間1000万袋ほどの量を全て検査しているわけだが、そのうち、放射線量の法定基準値(1kgあたり100ベクレル)を超える袋は一体どれぐらいあるのか? 福島県のホームページで公表されている数字を見ると、震災の翌年の2012年は1000万袋のうち71袋、率にすれば0.0007% である。これが最も多かった数字で翌年以降はさらに減少し、2015年以降はずっとゼロが続いている。

 食品や農産物については「安全・安心なものを」ということがよく言われるが、福島県産の米はほぼ100%安全なものと言っても差し支えないだろう。ところが「安全」は科学的な事実に基づくものだが、「安心」は人々の気持ちに由来するものである。いくら数字を示されても「どことなく不安」という気持ちが拭いされないのが、人々の率直な気持ちだ。これもある種の「穢れの思想」と言っていいだろう。

 古来、日本では “お祓い(おはらい)”をする、あるいは“禊ぎ(みそぎ)”をすることで穢れを無くすことができるとされた。「穢れ」とそれを消滅させるための「お祓い」、これらはいずれも科学的な根拠は何もない。お祓いや禊ぎという行為は迷信とか非科学的とかの理由で多くの人は信じなくなった。ところが、やっかいなことに穢れだけは人々の無意識の中に残っている。だからこそ、一度コロナに感染してしまった人たちに対する偏見や差別は深刻なのである。