この基地についてアメリカは、カリブ海の安全や麻薬密輸の防止、沿岸警備隊の擁護を目的としたものだと説明している。さらに収容所としての役割もある。2001年のアメリカ同時多発テロ以降、アメリカは逮捕したテロ活動の容疑者を基地内の収容所に拘禁し、そして彼らに対して長時間断眠を強いたり、水攻めにするなど過酷な尋問を行なってきたのだ。

 当然、国際社会から批判もあったが、そもそもここグアンタナモはアメリカの飛び地。キューバの法律はもちろん、アメリカ国内法の効力も及ばず軍法のみがまかりとおる事実上の治外法権で、どれだけ残忍な行為をしたとしても違法を追及できない。

 それにしても、なぜアメリカの基地がキューバにつくられたのだろうか? そのきっかけとなったのは19世紀末の米西戦争だった。

米西戦争でアメリカが収奪、
いまだ返還に応じない

 15世紀からおよそ400年にわたってスペインに支配されていたキューバは、19世紀末に独立運動を起こす。これを支援したのがアメリカで、1898年にキューバとフィリピンでスペインと戦い(米西戦争)、勝利を収めた。その結果、キューバは1902年に独立することができた。

 しかしこれ以降、キューバはアメリカの内政干渉を受けはじめ、事実上、アメリカの支配下に置かれてしまう。そして1903年、グアンタナモ湾に面した土地の永久租借権がアメリカに与えられ、いまも残るアメリカ海軍の基地が建設されることになったのである。ちなみに、グアンタナモの租借料は、年間金貨2000枚、現在の貨幣価値に換算すると約4000ドルという破格の安さだった。

 もちろんキューバも黙っていたわけではなく、アメリカに矛先を向けるようになった。1959年、キューバ革命を指導したカストロが親米のバティスタ政権を打倒すると、彼が樹立した新政権は社会主義に傾倒していき、アメリカをはじめとする西側の自由主義陣営と激しく対立したのだ。1962年のキューバ危機も、この冷戦における東西対立のなかで起こった事件である。

 やがて冷戦が終わり、2015年にアメリカとキューバは国交を回復。反米のシンボルであったカストロも翌年に亡くなった。

 しかし、アメリカは「グアンタナモに関しては全面返還が必要」というキューバの訴えに耳を貸さず、いまだに基地として利用し続けている。キューバの地図にアメリカの飛び地が描かれなくなる日はいつになるのだろうか……。