しかし、第二次世界大戦が終わると独立の気運が盛り上がり、1957年にマレー半島側がマラヤ連邦として独立。その後、ボルネオ島のサバ州とサラワク州、それに現在のシンガポールとブルネイでマレーシア連邦を結成しようとする動きが起こった。

 これは、マラヤ連邦がほぼマレー系の人々と中国系の人々で構成されていたからだ。そのままでは経済の実権を握る中国系に支配される恐れがあったため、ボルネオ島などの住民を加えて、マレー系の人口比率を高めようとしたのである。

 石油の豊富なブルネイは連邦への参加を拒否したのに対し、ボルネオ島のサバ州とサラワク州、シンガポールは1963年にマレーシア連邦を成立させる。その2年後、シンガポールは独立したが、サバ州とサラワク州は連邦に残留することにした。そして、両州は残留する代わりに大幅な自治を認めてもらったのである。

 サバ州とサラワク州の自治権は独立国並みに強い。そのため、同じマレーシア人であっても、マレー半島側の人間が入国する際にはパスポートの提示が求められ、審査を受けなければならないのである。

たった2年で消滅した
ビアフラ共和国

 アフリカ大陸の西岸、ギニア湾に面するナイジェリアは、約2億の人口と豊富な石油資源を中心とする経済力から「アフリカの巨人」といわれている。その大国のなかに、かつてビアフラ共和国という国があった。1967年の独立からわずか2年あまりで消滅してしまった幻の国だ。

 ビアフラはナイジェリア南東部に位置し、約1400万の人口と7.7万平方キロの面積(ナイジェリアの12分の1)をもつ国だった。石油資源に恵まれ、工業や農業もさかんで、教育や医療体制も充実していた。

 ビアフラが国家として安定的に成長する見込みは十分にあった。しかし、ナイジェリア政府と対立し、独立を宣言したものの、内戦に敗れたことで存続できなくなってしまったのである。