「素敵な私に見られたい」を手放す

──『取材・執筆・推敲』のなかでも、今回のインタビューのなかでも感じたことなんですが、古賀さんは「読者と誠実に向き合う」ことに強いこだわりを持っていますよね。そのルーツはどこにあると思いますか。

古賀:なんだろう。小学生のときから、賞状をもらえたり、先生から褒められたり、作文は得意だったんですよね。ただ、おおきな反省点として、大人に媚びた文章を書いていた。

──あ、それは自覚していたんですか?

古賀:うん、もちろん。「先生たちはこういう文章を望んでるんだろうな」と。大人が喜ぶ作文を一生懸命書いていました。

学校の先生って、「これからはゴミをポイ捨てせずに、地球に優しく生きようと思います」「友だちとケンカせず、クラスみんなでがんばっていこうと思います」みたいに、「いいこと」を書いていれば褒めてくれるんです。道徳的な気づきを得て、倫理的に正しいことが書いてあれば、「とてもいいことに気が付きましたね」と花丸をつけてくれるのが先生なので。

当時のぼくはそういう評価を求めて、言い換えるなら、大人をバカにしながら書いていたんです。自分にうそをついて、褒められるために偽善的なことを書いていた。そういう「狡っからい自分」を、人一倍強く自覚していました。

──「ほんとうのこと」にこだわるのは、そういう経験の積み重ねからですか。

古賀:書くことを一生の仕事にしようと思ったとしても、そんなうそで自分を塗り固めるような態度では仕事に誇りが持てないし、自分を好きになれませんよね。あのときの自分みたいになりたくない、という気持ちが大きいかもしれません。

ただ、いまの若いライターさんって、そういう人多いと思いますよ。とくに顔を出して活動していると、やっぱり「素敵な私に見られたい」「こういう文体で、こういう内容の話を書いたら、こうみられるだろう」と考えちゃうじゃないですか。

でも、そうやって自分を飾った文章にした結果、一部の人からの支持は得られるかもしれないけど、ほんとうに魂を揺さぶるような原稿は書けないと思うんですよ。自分が泥を被ったり、矢を浴びたりする覚悟がないと、ほんとうのコンテンツにはならない。だって、自分は安全圏にいるままなんだから。

──そうだと思います。どうしたら読んでもらえるかとか、偽善的なことを書いている人はすごく多いと思いますし。私もそういう感覚になっちゃっていることあるな、と反省です……。

古賀:うん、とくに顔と名前を出して書いていると、ネット社会では怖かったりしますからね。ただ、それを続けていたら、学校作文の延長みたいなコンテンツしかつくれない。

──その壁を乗り越えるには、どうすればいいでしょうか。

古賀:読者としての自分を大事にすることがいちばんだと思います。自分がふだんから真剣な読み手であれば、書き手にバカにされたときの悔しさとか苛立ちとか、ずっと残りますよね。ひょいひょいとコピペするように書いたものを読まされたときの、ラクな商売しやがって、みたいな腹立たしさ(笑)。ああいう気持ちを大切にすればいいんです。それはちゃんと自らへの戒めになるから。

いい書き手になるためには、いい意味で「厳しい読者」になる必要がある。小手先の表現テクニックに走る前に、「読者としての自分」を鍛えていきましょう。

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