もっとはやく、この本に出合いたかった。ライターとして、そう思わずにはいられない本が刊行された。『取材・執筆・推敲──書く人の教科書』。ずっしりと重みのあるA5判の分厚い本書のボリュームは、476ページ。じつに21万字をかけて語られた「書くことの本質」に、ライターや編集者だけでなく、起業家やビジネスパーソンからも驚愕の声があがっている。それもそのはず、上梓したのは、日本では252万部、中国、韓国でもそれぞれ100万部を突破した世界的ベストセラー『嫌われる勇気』の共著者であり、日本トップクラスのライター・古賀史健氏だ。編著書の累計部数は1100万部を超え、編集者からの信頼も厚い彼の「プロライターとしての覚悟」が込められた本書は、まさに「文章本の決定版」である。
今回は、本書の刊行を記念し、古賀氏に特別インタビューをおこなった。多くのヒットコンテンツを手がけ、自身の名前で出版された本が100万部を超えているにもかかわらず、古賀氏は「作家」ではなく「ライター」を名乗り続けるという。あくまでも「ライター」の肩書きにこだわる理由は何なのか──。(取材・構成/川代紗生、撮影/疋田千里)
「ライター」は作家やエッセイストの
腰掛け期間なのか?
──正直にお話しすると、いま、ちょっと……いや、かなり緊張しています。『嫌われる勇気』『ミライの授業』『ゼロ』など、古賀さんが執筆を担当された本は、社会人になったばかりのころから拝読していたので。あの古賀さんに「書くこと」について伺えるなんて……と、嬉しさ半分、恐れ多さ半分、という気持ちです。
古賀史健(以下、古賀):おお、ありがとうございます。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ(笑)。
──さっそくなのですが、「いま」の古賀さんに至るまでの経緯をお聞きしたいなと思っていて。若いころから「一流のライターになりたい!」という大きな目標をもって、計画的に仕事をこなしてきたのか。それとも、目の前の仕事をひとつひとつこなした結果、いまがあるのか。そのあたりを伺ってもよろしいですか。
古賀:うーん、そうだなあ。もちろん、目の前のことを着実にこなしていたらこうなった、というのがほんとうは正解なんでしょうけど。この仕事を極めたいと思ったきっかけが、ひとつ挙げられるかもしれません。
──どんなきっかけでしょう?
古賀:10年以上前、知人の繋がりで、とある小説家の方とお酒を飲む機会があったんですよ。それでぼくが「本をつくる仕事をしています」とライターとして挨拶したら、「あー、ぼくも昔はそういうチンケな仕事をやってたんだけどね」みたいなニュアンスのことを言われて。
──えええ!
古賀:「ぼくもそういう下積みのライター時代を経て、いまは小説家として活躍できているから、きみもはやくここに来たまえ」みたいな(笑)。
ライター
1973年福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部卒。メガネ店勤務、出版社勤務を経て1998年にライターとして独立。著書に『取材・執筆・推敲』のほか、31言語で翻訳され世界的ベストセラーとなった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著)、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』など。構成・ライティングに『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(幡野広志著)、『ミライの授業』(瀧本哲史著)、『ゼロ』(堀江貴文著)など。編著書の累計部数は1100万部を超える。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして、「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。翌2015年、「書くこと」に特化したライターズ・カンパニー、株式会社バトンズを設立。次代のライターを育成し、たしかな技術のバトンを引き継ぐことに心血を注いでいる。その一環として2021年7月よりライターのための学校「batons writing college」を開校する。
──それは……グサっとくる言葉ですね……。
古賀:そのときに「おれは絶対『そこ』には行かねえ! 一生『ライター』にこだわろう!」と思ったんです。
──(笑)
古賀:その方もきっと、ライター時代から優れた仕事をされていたと思うんです。でも、そうやって違う世界に移ったあとに、過去の自分を否定するような、砂を引っかけるようなことをしていたら、ライターの仕事が作家や小説家、エッセイストになる前の「腰掛け期間」になっちゃうじゃないですか。
だから、ぼくは何があっても『ライター』の肩書きにこだわろう、と。書くことはないと思うけど、仮にぼくが小説を書いたとしても「ライター」として書く。エッセイを書いても何を書いても、肩書きは一生ライターだと決めたんです。