このAさんこそ、遅咲きさんであった。人事部ではほとんどノーマーク。研修メンバーの母集団にギリギリで引っかかって、その場で当人のポテンシャルの高さが注目されたわけだ。会社もあやうく見逃すところだった。
この経験から、この企業では以後の同研修では、候補者をあまり絞りすぎず、少し広めの母集団から参加者を募るようにした。すると不思議なことに、毎年、遅咲きさんの出現が確認されるのである。
候補者をプールして取りこぼしのないよう努力している企業ですら、こんな状況であるから、幹部候補をリストアップすらしていない会社では、目立っていて誰もが良いという分かりやすい人(≒いわゆる賢い人)しか候補者リストに挙がらないだろう。そこでは、似通ったタイプの優秀さを持つ人が幹部となり、変化の時代に必要な多様性が確保できないおそれがある。しかも、分かりやすく優秀な人が本当に将の上に立つ将として適しているのかどうかはわからない。
さらに、分かりやすい優秀人材すら育成せずに、「経営人材がいない」などと人ごとのように慨嘆しているだけのひどい企業も残念ながらまだまだ多い。
企業にとって、経営幹部は宝石である。玉磨かざれば光なしと言うように、分かりやすく輝いて地表に出ている石などまれで、ほとんどは地中に埋まっているのを苦労して掘り出し、一生懸命研磨して輝かせるのである。その手間を惜しんではいけないし、どんな組織でも探せば意外なところに宝石の原石が隠れているというのが、長年この業務に携わってきた私の実感でもある。
今後は「うちには人材がいない」は禁句にしたらいいのではないか。人材難の時代には、そんなふうに嘆くだけではとても生き残れないと企業も早晩気づくことになるだろう。そうしたときこそ遅咲きさんにはチャンスである。私も全力で応援したい。
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)