確かに2から1.5メートルにするだけで、収容人数は1.8倍に増えます。そんな「適正ディスタンス」議論がネットやTV番組上で戦わされましたが、結局5月、屋内イベント開催に対して政府から「定員の50%以内」というような基準が示されました。

 でもその頃、感染症の専門家がポロリと言っていました。「まあ、飛沫が飛ばなきゃいいんで、声を出さない映画やコンサートだったら、満席にしても問題ないですよ」

 そうでした。ダイジなのは距離そのものではなく、飛沫が互いにかからないこと。それなら声を出す出さないでまったく変わります。なんでそこから議論しないのか……。

 政府が映画館やクラシックコンサートなどに「定員いっぱいまでOK(5000人まで)」としたのは、その4ヵ月もあとのことでした(2021年1月に地域限定で出された緊急事態宣言では、再び「定員の50%以内」となった。理由は不明)。

ダイジを重みで示す

 主張しようとしている事柄が、ダイジかどうかはどう示しましょうか。

 ビジネスの現場において、最終的に存在するのはコストと付加価値だけです。どれだけの価値をビジネスの相手に、どれだけのコストで届けられるのか。

 だとすれば、そのことがダイジかどうかは、その付加価値やコストでの「重み」でハカれます。

●コストの何割を占めるのか
●付加価値のどれだけを占めるのか

 電力効率の例では「コストでの重み」で、そのダイジさを示しました。前回のアマゾンの例では「ユーザーへの付加価値での重み」が適当でしょう。

 では、アマゾンの品揃えが非常に多いことは、ユーザーにとって、どれだけ重要なのでしょうか。品揃えが売れ筋だけに絞り込まれていては、何がダメなのでしょうか。

 電化製品での競合ベスト・バイだって品揃えが少ない訳ではありません。100万を超える品目を扱っています。それじゃ、なぜダメなのでしょう。なので「品揃えが10倍多い!」の前にまず「品揃えが非常に多いことがダイジ」と言わないことには、始まりません。

 アマゾンの急成長にさまざまな原因があるとして、それらを個別に論じる前に、まずはそのテーマの重みをハカりましょう。

 それでダイジとわかったなら、初めてそこでの「差」を語ろうではありませんか。