「個」を殺してきた教育、
我慢をこじらせることの恐ろしさ

『なぜ会社員が「人気職業」1位に?社畜大国ニッポンをつくった学校教育の罪』という記事で詳しく紹介したが、日本の小中学校は半世紀も「個を殺して全体に貢献せよ」という集団教育を叩きこむ場所として機能してきた。

 終戦直後は軍国主義を排除したことで、夏目漱石の「坊ちゃん」で描かれたような自由な旧制中学のような雰囲気に戻った。しかし、ほどなくして東京大学教授を務めた宮坂哲文氏を中心として「集団主義教育」の普及を目的とした「全国生活指導研究協議会」が結成される。「戦時中の子どものようにもっと集団行動を叩きこめ」のシュプレヒコールが上がる中、1964年には文部省が「集団行動の統一スタイル」を徹底させるように通知した。

 子どもたちに、北朝鮮のマスゲームのように統率の取れた集団行動を取らせるためには、「個」を殺すことを教え込まないといけないことは言うまでもない。自分勝手な言動は慎み、自分の利益よりも常に集団の利益を優先させる。そんな「我慢」と「貢献」が70年代から学校教育の柱となっていったのだ。

 ちなみに、冒頭のテレビCMが話題になったのはまさにこの時期である。学校で「みんなのために我慢なさい」「なんでそんな自分勝手なことを言うの!」と教師に叱られた悪ガキが帰宅して、テレビをつけると今度は絶大な人気を誇った「土俵の鬼」と「角界のプリンス」と呼ばれたスターが「人間、辛抱だ!」と言い放つ。学校と家庭で、当時の子どもたちは「我慢しないと立派な日本人になれない」ということを叩き込まれていったのだ。

 その後、学習カリキュラムに関しては「ゆとり教育」だなんだと紆余曲折があったが、「我慢」と「貢献」を叩き込む教育自体は、現在まで変わることなく脈々と引き継がれている。それを踏まえれば、日本の若者が「将来の夢がない」と回答するのも納得だ。

 幼い頃から事あるごとに「自分勝手なことをやって、みんなに迷惑をかけるなよ」と口すっぱく言われ続けてきたのに、いきなり「自分の好きなことをやってみろ!」と言われても急にできるわけがないではないか。