この「住宅すごろく」の特徴は、このゲームに参加しようと決めた人ならば、基本的に皆、最終ゴールまでたどり着けたという点です。もちろん素早く順調にゴールできる人もいれば、一進一退を繰り返す人もいます。本人の努力以外に、サイコロの目という運命の巡り合わせもあります。20代で都内にマイホームを手に入れられる人もいれば、40代後半にようやく郊外の地に自宅を構えられる人もいた。しかし、スピードやレベルの差はあれ「すごろく」はゲームですから、参加者は基本的にゴールできる仕組みだったのです。これが高度経済成長期から90年代までの状況でした。

 しかし平成に入り、バブル経済がはじける頃には、「住宅すごろく」は機能しなくなってきました。途中でドロップアウトしてしまう、あるいはゴールしたと思った瞬間、振り出しに戻るなど、バグのような人生のどんでん返しが生じてしまうのです。パンデミック下ではマイホームを購入したはずの家庭が失業でローンの返済不能に陥り、マイホームを手放さざるを得なくなったり、真面目に働いてきた人が解雇されて<生活保護>や<ホームレス>に転落したり、信じがたいケースが続出しています。

 あるいは、そもそも人生のゴールに、マイホーム保有を設定しない若年層も増えています。以前から自動車を欲しがらない若者が増えていることは話題になっていました。維持費、管理費がかかるマイカーよりも、シェアカーで十分じゃないかと。見栄と欲から解放された若者は合理的に考えるものです。そのマインドがさらに進み、マイホームも特別に欲しくない、という人々が増えています。

「むしろ一生賃貸のほうが自由でいい」「家族ぐるみでシェアハウスでいい」「住むところを決めたくない」など、多様な選択肢が定着しているのです。

「一生この土地にいるつもりはない」という人々が多数派になったとき、地域コミュニティの維持は難しくなります。「ここに住むのは一過性だから」「いつまで住むのかわからない」人々は、腰を据えて地域の寄り合いやボランティア、福祉協議会などには積極的に参加しません。結果的に、祭りなどを執り行うのは「昔から住む高齢者ばかり」という事態にどこの自治体も陥っています。

 その半面、地域でのトラブルは増加しています。従来の自治体では、住民同士の困りごとは近所付き合いの中で解決してきたものですが、いまや一足飛びに区役所や町役場などにクレームが押し寄せるのです。地域社会の困りごとは自治体が責任をもって解決するのが当然、という意識が強まっているのでしょう。

 このように「住宅すごろく」ゲームが成り立たなくなった地域コミュニティでは、従来型の「地元意識」と、新しい移住者の「コミュニティ意識の希薄さ」の間に大きな溝が発生しています。