また、緊急事態宣言はビジネスや生活に負担を強いる。宣言が長引いた場合に備える必要がある人が多数いるはずだが、彼らには早い時点から「悪いケースへの備え」をしてもらう方がいい。国民にとって、より正しい予想や適切な計画の策定が重要である点からも、半ば首相の願望を投影しているかのような短めの期間設定を初めに行うべきではない。

 加えて、「想定が甘くて期間が足りなかった」という状態を何度も見せることになるので、政策への信頼を損なうし、新たな宣言期間に臨む国民のモチベーションを下げる。

 首相としての記者会見が下手な菅氏としても、何度も苦しい説明を要する状況は作りたくないのではないだろうか。

国民が抱く「オリンピックストレス」を
軽視すべきではない

 また、「人流を減らせ」と言いつつ、国民の多くが今夏の開催に反対する東京オリンピックを開くという政府の方針の矛盾も、国民のストレスを増している。菅政権としては、いわゆる「パンとサーカス」のサーカスに相当する、民衆が高揚するイベントとしてオリンピックを開催したいのかもしれない。

 しかし、少なからぬ国民の間に存在する「オリンピックストレス」の存在を軽視しない方がいい。今や多くの国民が、政府と国際オリンピック委員会(IOC)を信用していない。汚い商業イベントだという舞台裏も見えてきた。「オリンピックなんてない方が、間違いなく安心・安全だし、何より爽やかでもある」と思っている国民は少なくないはずだ。

 一方、「気が緩み」などと政府や知事たちに説教されるのは不愉快だが、緊急事態宣言にも新型コロナウイルスそのものにも、国民の側に妙な「慣れ」の感情が発生しているのも事実だろう。本来なら変異株の流入で昨年の1回目の緊急事態宣言時よりもリスクが増しているはずなのだが、正直に言って、筆者個人は昨年ほどの緊張感がない。

 宣言期間の逐次投入に対するいら立ちと同時に「コロナ慣れ」が存在する状況で緊急事態宣言の再延長を迎えるに当たって、個人の経済生活で必要なことをあらためて確認しておこう。