妻の浮気が原因で離婚。突如、5歳の息子との父子家庭になった。手元に残された全財産は90万円。定時退社で保育園へ息子を迎えに行く毎日で、残業代ゼロ。年収400万円で、カツカツの生活だった。ギリギリの節約生活で、4年で1000万円を貯め、本格的に株式投資を開始。紆余曲折を経ながらも某企業の大株主になり、資産2億円以上を築いた。いまや成長し、就職した息子とふたりで焼鳥屋に行ったとき、これまでの半生を振り返り、「投資家」と「労働者」の話をした。
「サラリーだけで生きられる時代は終わった」
「億の資産をつくるにはお金に働いてもらうことだ」
「リスクをとらないと得られるものはないぞ」
離婚して父子家庭になり、全財産90万円から資産2億円以上を築いた父親が、投資術を初公開。いま息子へお金と投資の話を教える『どん底サラリーマンが株式投資で2億円』。
軍資金1000万円から“ダブル億り人”
ブログでサイボウズについてつぶやくようになってから、サイボウズの株価は右肩上がりで上昇した。
日本ではITバブル崩壊後、後述する2006年のライブドア・ショックまで、IT関連銘柄の“プチ・バブル”が起こった。
そうしたIT関連銘柄からめぼしいものを拾い、コツコツと投資していた。
そのときに心がけていたのは、「自分が知らない会社、よくわからないビジネスモデルの会社には投資しない」ということ。
そこは投資の神様バフェット氏と同じだ。
過去に何をつくっているかもよく知らない三菱化工機の株を買い、損をした失敗を二度とくり返すまいと心に決めていたのだ。
サイボウズはセミナーで青野社長が示したビジョンに惹かれたということもあるけれど、それ以前にIT部門にいて自分が使ってみたいと思う製品・サービスを提供していた点が投資の決め手になった。
サイボウズ以外で買ったのは、事情があって社名を明かせないA社、一休(東証マザーズから東証一部へ指定替え後、2016年にヤフーの完全子会社となり上場廃止)、バルス(MBOにより非上場、2017年にFrancfrancに社名変更)など。
A社はクラウド経由でソフトウエアを提供するSaaS(ソフトウェア・アズ・ア・サービス)の分野で、サイボウズと同じく仕事で使いたいと思う製品・サービスを提供していた。
一休.comも出張のとき、よく利用していた。バルスは仕事関連ではなく、街で偶然見かけたインテリア&家具ショップ「Francfranc」が「お洒落だなぁ」と感心して、その親会社であることから投資すると決めた。
投資した銘柄をブログでつぶやくと、不思議とそれらの銘柄の株価が上がるという現象が続いた。
とくにサイボウズの株価は右肩上がりになり、自分のことを「教祖」として崇める人も現れるほどだった。
1日1000人以上が、ブログを読んでくれた。
そして2005年末、日本経済新聞に掲載された年間株価上昇率トップ10に、サイボウズを含めた主要持ち株3社がすべてランクイン。
この段階でサイボウズは株価10倍超えのテンバガーを達成し、他銘柄も株価5倍以上になっていた。
この頃は負ける気がしなかったので、現金や株式を担保として証券会社に預けて、証券会社からお金を借りて株式を買ったり株券を借りて売ったりする「信用取引」でレバレッジをかけながら、プチITバブルの波に乗ったハイリスクな投資をしていた。
こうして2005年末の株式評価額は、なんと2億3500万円を記録した。
どん底サラリーマンが株式市場にカムバックしてから1年ほどで、軍資金1000万円から“ダブル億り人”になったわけだ。
これは自分の才能でもなんでもなく、プチITバブルの波にうまく乗れたおかげだと思っている。