日本人は用意された服を
体に合わせるのはうまい

 藤井さんは、西部邁さん(1939~2018年)の愛弟子。西部さんはおもしろい人で、1960年の安保闘争(日米安全保障条約に関する大規模デモ運動)の時は、全学連(全日本学生自治会総連合。学生自治会の連合組織)の中央執行委員も務めており、警察に7カ月間、捕まっていたこともあった。その後、左翼過激派と決別し、保守派の論客となったが、左派も右派も彼のことを尊敬する人が多かった。

 僕は西部さんと親しく、彼には借りもある。テレビ朝日で「朝まで生テレビ!」が始まった当時、論客といえば左派ばかり。そこで僕は西部さんに保守として出演してほしいと頼み、快諾してくれた。大島渚さん(1932~2013年)や野坂昭如さん(1930~2015年)、小田実さん(1932~2007年)らにコテンパンにやられていたけれど、彼は進んで悪役を担ってくれていたのだ。

 その西部さんの愛弟子である藤井教授と書籍のために対談した後、藤井さんの論を多くの国会議員にも聞いてほしいと思い、6月1日に衆議院議員会館で藤井さんと緊急シンポジウムを行った。与野党の議員や秘書、合わせて100人以上が参加してくれ、皆、彼の話に非常に興味を示してした。質問も多く出ていたね。1人でも多くの政治家に、このコロナ危機を「有事」と捉えてほしいと思っている。

――憲法改正を巡り、国内の議論が活発化しています。

 背景にはやはりコロナ禍がある。海外では緊急事態条項に基づいてコロナ禍に対応している国も多いが、日本の憲法は緊急事態条項がなく、人の移動を制限することができない。変異株の感染拡大の懸念や、中国や台湾など東アジア情勢への懸念もある。

 改憲論議の広がりは、こうした状況を考えると当然のこと。しかし、私のように戦争を体験している世代としては複雑な思いだ。

 第2次世界大戦の敗戦まで、憲法に記載されていようがいまいが、日本政府の言うことは僕らにとっては常に「緊急事態」。違反したら逮捕、場合によっては懲役が科せられた。これが当たり前の社会だった。

 自衛隊が創設されたのが1954年、自由民主党が結成されたのが1955年。自民党最初の総理大臣の鳩山一郎首相(1883~1959年)や岸信介首相(1896~1987年)は、憲法の内容と自衛隊の存在が矛盾していることを認識し、任期中に憲法改正をうたっていた。憲法を改正するということは、つまり憲法内に緊急事態条項を創設するということ。でも、池田勇人首相(1899~1965年)以降は誰も憲法改正を言わなくなった。

 僕はそのことを不思議に思っていて、1971年の秋に通商産業相を辞めたばかりの宮澤喜一さん(元首相。1919~2007年)にこのことを聞いてみた。池田元首相はすでに亡くなっていたが、生前は宮沢さんと親しかったからね。すると宮澤さんはこう言った。

「日本人は自分の体に合わせて服をつくるのは下手。だけど用意された服を体に合わせるのはうまい」

 太平洋戦争で負けたように、日本人は主体的に自分たちの国を守ることは下手だ。でも、アメリカに押し付けられた憲法を利用するのはうまい。こんな憲法を押し付けたのだから、日本の安全保障はアメリカが責任を持つべきだと。アメリカの戦争に巻き込まれないよう、憲法を逆手にとっているのだと、こういう理屈だ。

 事実、池田元首相が亡くなる前年の1964年に始まったベトナム戦争では、アメリカは自衛隊の派遣を要請してきたが、当時の佐藤栄作首相は断った。日米同盟を組んでいるのだから本来は断れないはずだ。しかし佐藤内閣は、「あなたたちのつくった日本国憲法はなかなか難しいもので、(憲法があるために)行くに行けない」と、憲法を口実にうまく回避した。

 竹下さん(竹下登元首相。1924~2000年)が私にこのように言ったことがある。

「軍隊というのは戦えれば戦ってしまう。自衛隊は戦えないからいいんだ。だから日本は平和なんだ」

 戦後の首相たちは絶対に戦争をしてはいけないと思っていた。だから、押し付けられた憲法を盾にして、アメリカの戦争に何とか巻き込まれないようにしてきたのだ。

 憲法改正は、その辺も踏まえた上でよほど慎重にやらないと危ないという気がしている。難しい問題だね。だから、もっともっと議論するといい。