根拠も責任も「ぐずぐずの国ニッポン」
国民は大きく三つに分断されていく

 一般論として、社会のルールはそれが広く守られ、徹底される状況が好ましい。しかし、そのためにはルール自体が正しくて納得的なものでなければならない。今回のまん防では、この前提条件が満たされていない。

 飲食に関係する各種の実害や個人の自由の制限に加えて、ルール自体が不公平を伴いながら一部で形骸化して、社会的なルール自体の安定性が損なわれている。意思決定に関してもルールの適用に関しても、根拠も責任も曖昧な「ぐずぐずの国ニッポン」の欠点を「まん防の飲食3制限」はますます悪くする。

 加えて、非合理的なルールがいわば「しつけ」のように強制され、理不尽であるにもかかわらずそれに従う人がいる状況は、一方に権力があり、他方がそれに服している関係をあからさまに見せつけている。理不尽なまん防がまかり通ることは、権力が機能する姿の一部でもあるのだ。

 政府の幹部や自治体のトップが、非合理的なルールの押し付けを人気取りのための「やっている感」演出のために強行しているのか。それとも自分たちの仲間が利益を得るために行っているのか。あるいは自らの権力を実感するためにやっているのか。いずれなのかは判然としない。

 だが、非合理的なルールが施行されることが国民を大きく三つに分断する効果をもたらしている。「権力を持つ人」(政治家、政治家に影響力のあるスポンサー等)と「権力を持つ人に取り入ろうとする人」(典型的にはオリンピックの感動を押し売りしようとするマスコミなど)、そして「権力に反抗したいと思う人」(「3制限」に腹を立てる飲食店の店主と客など)の三つだ。

 ただでさえ相対的な国力が後退著しいわが国にあって、社会の「分断」はいずれのグループの人にとっても最終的・総合的な得にはならないのではないか。

 そして、いかなる巡り合わせか、東京都民の場合は、7月4日の東京都議会議員選挙という、多少は「あちら側の人たち」にも影響を与えられそうな意思表示の機会がある。例えば東京の有権者は、小池百合子都知事が率いる都議会与党である都民ファーストの党に対して、どのような判断を下すのか。もちろん、政府のもろもろに対する賛否を投票に込める有権者もいるだろう。なかなか興味深いイベントだ。

 最後に、今一度言う。「まん防の飲食3制限」は直ちにやめた方がいい。