この20年間で開発が
ドロップアウトした薬は100以上

――難しいんですね。それで「原因物質を取り除く」新薬ができたわけですが、その発想自体はごく自然で、当たり前のような気がします。どうして今までこのような薬はできなかったのでしょうか?

 従来の治験は全て、既にアルツハイマー病を発症した患者さんに対して行われていました。Aβを取り去る薬も、Aβが産出されないようにする薬も、です。

 例えばアメリカで97年(日本では99年)に世界初のアルツハイマー病治療薬として発売されたエーザイのドネペジル(商品名:アリセプト)という薬は、アルツハイマー病患者の脳内で減っている神経伝達物質「アセチルコリン」を補うことで、記憶を少し回復させる薬ですが、治験はアルツハイマー病を発症している患者さんで行われました。アセチルコリンの減少は、神経細胞のダメージによって起きているのでそれでよかったのです。

 でも原因物質を取り除く治療は、細胞がダメージを受けてしまってからでは遅い。ダメージを受ける前でなければ効果は見えません。

 だから、これまでの治験は効果が出ず、ドロップアウトしてきた。治験の第2相や3相まで行ってダメになった薬だけでも100種類以上です。

――発症の前段階での治験が必要だったんですね。

 徐々にMCIなどの段階で治験をやるようになり、最近は「主観的認知機能低下(SCD)」といった、さらに前駆的な状態でも行われるようになってきました。アデュカヌマブの治験も主にMCIで行われました。

――アデュカヌマブも、治験で効果を十分証明できず、開発をいったん中止したこともありました。

 中間段階で有効性を検討した結果、「主要評価項目が達成される可能性が低い」との結論に至り、2019年3月に中止が発表されました。しかし、この決断後に治験を終了した症例を加えて改めて解析してみたところ統計学的に有意差をもって進行を抑制する結果が得られたので、今年の6月、承認後追加試験で効果を見極めることを条件に承認されたわけです。これは「迅速承認」といって、深刻で治療法のない病気への新薬を早く実用化するための例外的な措置でした。

――7月8日には、それまで「全てのアルツハイマー病患者」を対象としていた添付文書が、「軽度認知障害(MCI)か軽度のアルツハイマー病患者」とするよう改訂されました。最初から条件付きだったとはいえ、FDAが承認から数週間で添付文書を改訂するのは異例だそうですね。患者としては不安を抱きます。

 先ほど申し上げた通り、治験での対象者は主にMCIであったので、適切な改訂です。いずれにしても、これまでの歴史からいえば今回の薬は奇跡です。治験をMCIの段階で実施したことが一番のアドバンテージですが、Aβの蓄積状況を測るアミロイドPET検査の値が、1年半の投与で明らかに減少しているのはすごいことです。まあ、それは今までもありましたが、アデュカヌマブはさらに臨床試験で、病気をプラセボに比べて22%も防ぐことができました。大した数字には見えないかもしれませんが大きな前進です。

 それにMRIで観察されるアミロイド関連画像異常(ARIA)および血管浮腫やじんましんなどの過敏症の副作用が報告されていますが、これらは投与を中止すれば回復するので問題ありません。血管浮腫と聞くと恐そうですが、脳の血管周囲の浮腫(周囲の血管がちょっともろくなったりする。脳腫瘍の浮腫とは違う)はそれほど恐いものではない。

 つまりアデュカヌマブは、リスクとベネフィットのバランスがとてもいい。認知症治療にとっては一筋の光のような存在です。