フォロワーシップを生み出すリーダーシップ

 次に「カリスマ的支配」は、当人の示す言葉や行動などへの「共感」がパワーの源になります。「カリスマ」と聞けば、その「カリスマ個人」がパワーの源であると私たちは考えてしまいがちです。

 しかし、実際にはそうではない。その個人にパワーを与えているのは、その人物が示す言葉やビジョンへの共感であり、さらに言えば共感した人々の心に生まれる「この人について行こう」という衝動、つまりフォロワーシップなのだということです。

なぜ人々はガンジーの「塩の行進」について行ったのか?

 ガンジーが英国政府への抗議のために始めた「塩の行進」に付き従っていた人は、なぜそうしたのでしょうか? 彼ら自身が「ついて行こう」と感じたからです。これはつまり、パワーの源が関係性に根差しているということです。

 パワーの源が関係性に根差している、ということは、このパワーが「代替不可能である」ことを意味します。わかりやすく言えば、そのカリスマが病気になったり死んだりして関係性がリセットされてしまえば、集団をまとめる求心力になっていたパワーも失われてしまうということです。

 これは、先述した「歴史に基づくパワー」と大きく異なる点です。企業ではよく、カリスマ性を持った創業社長の引退とともに、2世が後を継いだ結果、求心力が失われて組織がガタガタになっていくということが起きますが、これは「カリスマに基づくパワー」が原理的に代替不可能であることを示しています。

ルールが変わると消滅するパワーとは?

 最後に「合法性」による支配では、その組織や社会において規定された「権限」がパワーの源を生み出すことになります。これを逆に言えば、その組織や社会におけるルールが変われば、一瞬にしてリーダーが発揮していたパワーも霧消することになります。

 ここで留意しなければならないのは、ここで言う「権限」は、必ずしも文書化された公式なものに限らないということです。組織には往々にして公式の権限規定とは異なるパワーを隠然と持つフィクサーのような人物がいますが、このような人物の持つパワーもまたシステム内部に規定されているという点で「権限」に基づくものだと言えます。

パワーは個人の能力ではなく一種の「共同幻想」

 整理すれば、私たちが誰かにパワーを感じる時、その源は「歴史」「共感」「権限」のどれかに発しているということです。このように整理してみると重大なことが明らかになります。私たちは、パワーについて考える際、パワーをあたかも個人の能力や属性のように考えてしまいがちです。

 しかし、これまでの考察を通じて明らかになったように、パワーというのはシステムと参加者との関係が生み出す「現象」であり、吉本隆明の言葉を借りて表現すれば、一種の共同幻想なのだということです。

(本稿は、ハーバード・ビジネス・レビューEIシリーズ『リーダーの持つ力』の日本版オリジナル解説からの抜粋です)

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