「正義」の名のもとに…

ネット世界(とくに匿名で投稿できるSNSサイト)では、「ルール違反をした人」や「社会常識や倫理から逸脱する行為をした人」を見つけ出して、その人を容赦なく叩く傾向も見られます。

たとえば、あおり運転でニュースになった容疑者をネット上で捜索したり、ツイッターで不道徳な発言をした有名人を痛烈に批判したり、不倫が発覚した芸能人を完膚なきまで叩いたり……。そうした中には、汚い言葉で相手を誹謗中傷しているものや、「いくら何でもちょっと行きすぎなんじゃないの?」というくらい激しく相手を責め立てているものもあります。

まるで、「不道徳なことをしているやつはいないか」「社会のルールからはみ出した行為をしているやつはいないか」と常日頃から監視の目を光らせてパトロールしているよう。秩序やルールに逆らった者を見つけようものならタダではおかず、容赦なく非難の言葉を浴びせかけるケースも見受けられます。

このように「社会のルールに違反した行為」や「正義や道徳を逸脱した行為」をあげつらう人たちは世界中どこにでもいて、アメリカでは「ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー」と呼ばれています。

直訳すれば、「社会正義の名のもとに闘う人」。

ただ、この「ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー」という呼び方は揶揄的に使われるケースがほとんどで、「安っぽい正義感を振りかざして、独善的な考えで他人を攻撃する人」といった意味が込められています。

「〇〇であるべきだ」という考え方に縛られている人には、正義感が強く、「社会的正義」や「世間の常識的な倫理観」を振りかざして他人を非難する傾向が目立ちます。すなわち、「世間の多くが『こうあるべきだ』と思っていることなんだから、当然それを破ったやつが『悪』であり、自分は『正義』なんだ」という考えを持っていて、「自分は『正義』の名のもとに『悪』をやっつけているんだ」という思いで攻撃をしている人が少なくないのです。

さらに、こうした人々には「ルール違反をした者は罰を受けて当然」と考える人も多く、「ルール違反をした『悪者』を断罪してこらしめてやろう」という思いで、いっそう糾弾をエスカレートさせていくケースもあります。

しかし、何が正義で何が悪であるかは、個々人の立場や物の見方によって大きく変わるものです。

その人が振りかざしている「正義」や「常識」のことを、誰もが正しいと判断するとは限りませんし、その人にとっては「正義」であっても、他の人にとっては「身勝手でハタ迷惑な言いがかり」を押しつけているようにしか感じられない場合もたくさんあるでしょう。

つまり、「間違った正義」や「間違った正論」を振りかざす「ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー」も決して少なくないということです。なかには、そういう(間違った)正義・正論を「都合のいい大義名分」にして、確信犯的に相手へ攻撃を仕掛けている「ウォーリアー」もいます。

とにかく、このタイプの怒りは、ときとして暴走しやすいということを覚えておきましょう。秩序やルールへの愛があまりに強いと、その愛への執着は往々にして執拗な攻撃へと変わっていきやすいものだからです。