火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、金・銀への欲望が世界をグローバル化した、石油に浮かぶ文明、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。化学は人類を大きく動かしている――。白熱のサイエンスエンターテイメント『世界史は化学でできている』は、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞夕刊、読売新聞夕刊と書評が相次ぎ、累計8万部を突破。『Newton9月号 特集 科学名著図鑑』において、「科学の名著100冊」にも選出された。
池谷裕二氏(脳研究者、東京大学教授)「こんなに楽しい化学の本は初めてだ。スケールが大きいのにとても身近。現実的だけど神秘的。文理が融合された多面的な“化学”に魅了されっぱなしだ」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。
一枚の写真がベトナム戦争終結を早めた
一九七二年六月八日、ベトナム戦争がもっとも激しかったときのことだ。AP通信提供「ナパーム爆撃から逃げる南ベトナムの少女」の写真が世界を駆け巡った。
撮影したのはAP通信のカメラマンとしてベトナム戦争を取材していた二十一歳のベトナム人、ニック・ウット。彼が、いくつかの戦闘を写真に収め、荷物をまとめて支局に戻ろうとしたとき、南ベトナム軍機がナパーム弾を投下し始めた。苦痛と恐怖で泣き叫びながら彼の方へ走ってきた子どもたちの一群のなかに、裸の少女がいた。彼はシャッターを押した。
この「ナパーム弾の少女」は当時九歳のファン・ティー・キムフック。ウットは彼女をふくむ子どもたちを病院に運んだ。キムフックは左腕や背中に大きな火傷を負っていたが助かった。キムフックのその後は、『ベトナムの少女 世界で最も有名な戦争写真が導いた運命』(デニス・チョン著、押田由起訳、文春文庫)に記されている。
「ナパーム弾の少女」の写真はベトナム反戦運動を盛んにさせ、ベトナム戦争終結を早めたといわれる。
ナパーム弾は皮膚を焼き尽くす
ナパーム弾の基本的な組成はナフサ(粗製ガソリン)にアルミニウムと脂肪酸からなる塩を加え、粘っこいゲル状(ゼリー状)にしたものである。
ベトナム戦争で米軍はナパーム弾を用いて、多くの村や大量の森林を燃やした。その後の戦争でもよく使われた。ベトナム戦争で用いられたのは広範囲に拡散させるために粘度が低く、燃焼時間が長い「ナパームB」(特殊焼夷弾用燃焼剤)である。組成はポリスチレン、ベンゼン、ガソリンであり、ベトナム戦争では四〇万トンが航空機から投下された。
ナパーム弾は、航空機から投下すると恐るべき武器になる。爆発して破片状になるとあらゆる表面にくっつき、九〇〇~一三〇〇℃で長時間燃え続け、消火はほぼ不可能だ。人体についたナパーム弾は落とすことが困難で、広範囲の火傷をもたらす。毛嚢から汗腺、知覚神経の末端にまで浸透し、皮膚を徹底的に焼き尽くしてしまう。犠牲者は痛みによるショックでしばしば命を落とした。