アルカーイダの設立から
米同時多発テロまで

 1988年には、ソ連撤退後も世界各地でジハードを展開するため、同志とともに国際テロ組織「アルカーイダ」を設立。翌年2月にソ連がアフガニスタンから撤退したことで、「強大な超大国を倒した英雄」としてその名をアラブ世界でとどろかせるようになった。

 1990年、サダム・フセイン大統領率いるイラク軍が隣国クウェートに侵攻し湾岸戦争が勃発した際には、メッカとメジナというふたつのイスラムの聖地があるサウジアラビアに米軍の駐留を認めたサウジ王家を「背教者」と手厳しく非難し、さらに過激な反米活動へと傾斜していった。

 サウジ王家から国外追放されたビンラディンはスーダンに拠点を移し、持ち前の優れた交渉力で各地のイスラム戦線との関係を強めて「アルカーイダ」を国際テロ組織へと発展させていく。パキスタンの軍統合情報局(ISI)によれば、ビンラディンは最盛期には少なくとも30の異なるテロ組織とアライアンスを組んでいたという。大した組織力だ。

 1992年12月には米軍が滞在していたイエメンのホテルを爆破。翌年2月には同時多発テロの序章となった手製爆弾によるニューヨークの世界貿易センター爆破(6人死亡)など、宿敵アメリカに対する「報復」をさらに活発化させていった。

 とりわけ、銃撃戦によって19人の米兵を殺害し、2機の米軍戦闘ヘリ「ブラックホーク」を撃墜した1993年のソマリアの首都モガディシュでの戦闘は、ビンラディンにとって大きな勝利の瞬間だった。