ノルマンディー上陸作戦を支える

 アオカビの生産と、ペニシリンの抽出法は次々に改良された。戦場でのペニシリンの爆発的な需要に背中を押される形で、ペニシリンの大量生産が可能になったのだ。

 一九四四年六月六日、膨大な数の連合国軍兵士がノルマンディー海岸に上陸し、ドイツ軍に攻撃を開始した。ノルマンディー上陸作戦と呼ばれる、史上最大規模の作戦である。この日、連合国軍には強力な武器が供給されていた。兵士全員分のペニシリンである。

 このとき、戦場に持ち込まれたペニシリンの九割は、アメリカの製薬会社ファイザーの製品だった(1)。競合他社に先んじて、安定的な生産工程を完成させていたからだ。結果としてペニシリンは、連合国軍兵士の感染症による死亡を激減させたのだ。

 一九四五年、フレミング、フローリー、チェインの三人はノーベル医学生理学賞を受賞。ペニシリンは感染症の治療薬として、今日に至るまで大量に使われることとなった。実は、ユダヤ人だったチェインは、母親と女きょうだいをドイツの強制収容所で失っている。チェインの研究成果はナチスの打倒に確実に役立っており、ここに深い因果があるのだ。

 人間にとっては「奇跡の薬」となったペニシリンだが、アオカビにとってみれば、細菌から身を守るために分泌する物質だ。のちに、こうした薬は「生物に対して抵抗する」という意味から、「抗生物質(antibiotics)」と名づけられた。

 ペニシリンの発見は、医学の歴史において極めて重要な転換点になった。必然的に、「自然界には他にも人間に役立つ抗生物質が存在するはずだ」という発想に行き着くからだ。抗生物質の探索は次々と進められ、多くの感染症の治療薬が生まれていった。

 土の中の生物を研究していたアメリカの微生物学者セルマン・ワクスマンは、放線菌という細菌がつくる抗生物質、ストレプトマイシンを発見し、一九五二年にノーベル医学生理学賞を受賞した。ストレプトマイシンの発見もまた、医学史上、極めて重要な功績だ。

 当時もっとも多くの人命を奪っていた病原菌の一つ、結核菌に劇的に効果を示したからである。この薬は、結核の治療薬として今に至るまで使われ続けている。

 抗生物質の開発によって、感染症での死者は劇的に減った。平均寿命は急激に伸び、人類の歴史に大きな変化をもたらした。多くの国で長らく死因の第一位であった感染症が、他の病気に取って代わられたのだ。

 その一方で、奇跡の薬ともてはやされ、安易に使われ続けた結果、耐性菌が次々に生まれた。抗生物質の効かない細菌が現れ、それを殺すための抗生物質が開発され、再びその耐性菌が生まれる、という「いたちごっこ」が続いている。

 現在、どんな抗生物質も効かない「多剤耐性菌」は世界的な問題になっている。いつしか私たちは、感染症になす術のなかった昔に逆戻りするかもしれないのだ。

【参考文献】
・ファイザー株式会社「米国本社の歴史 1900年~1950年」
 (https://www.pfizer.co.jp/pfizer/company/history-us/1900-1950.html)
・『医療の歴史 穿孔開頭術から幹細胞治療までの1万2千年史』(スティーブ・パーカー著、千葉喜久枝訳、創元社、二〇一六)
・『新薬誕生 100万分の1に挑む科学者たち』(ロバート・L・シュック著、小林力訳、ダイヤモンド社、二〇〇八)

(※本原稿は『すばらしい人体』からの抜粋です)