唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。
外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント8万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊され、たちまち3万部の大重版となった。
坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。
戦地における感染症
二十世紀初頭、戦地で多くの兵士たちが傷の感染症で命を落としていた。傷の感染は、皮膚の表面にいるブドウ球菌や連鎖球菌などの細菌から起こる。エールリヒが「魔法の弾丸」を生み出してもなお、これらの一般的な細菌を殺せる「弾丸」は、当時全くなかった。傷から細菌が侵入し、それが全身を巡って重篤な感染症を引き起こしても、人類になす術はなかったのだ。
その後、全くの偶然が医学史を変えることになった。
一九二〇年代、ロンドンの聖メアリー病院で研究職にあったアレクサンダー・フレミングは、人間に病気を引き起こすブドウ球菌の研究をしていた。
一九二八年九月三日、休暇から戻ったフレミングは、細菌を培養していた培地の一つにカビが生えていることに気がついた。不思議なことに、そのカビの周囲にだけ細菌が育っていない。このカビはアオカビの一種であり、これが産生する何らかの物質が細菌の増殖を妨げているようだった。
フレミングはカビから出ている黄色い液体を、アオカビの学名Penicillium(ペニシリウム)から「ペニシリン」と名づけた。だが、ペニシリンを純化することは難しく、安定的に手に入れることはできなかった。薬として使うのは難しいと考えたフレミングは、これを論文として報告しただけで、他の研究を続けた。まさかこれが歴史を変える大発見であるとは、フレミング自身も気づいていなかった。
それから数年後、オックスフォード大学のハワード・フローリーとアーネスト・ボリス・チェインは、細菌を殺す薬を探索している最中にフレミングの論文を見つけ、そこに治療薬としての可能性を見出した。確かにペニシリンの精製は難しかったが、その効力は極めて強かった。
一九四〇年、連鎖球菌を感染させたマウスを使った実験では、何もしなければ一晩で死ぬマウスがペニシリンの投与によって生きながらえたのだ。
一九四一年には人間にペニシリンを投与する初めての試験が行われ、その効果が立証された。問題は、当時の技術ではペニシリンの大量生産はとても不可能だったことだ。たった二グラムのペニシリンを精製するために、アオカビがつくる液体が一トン必要だった。
この状況を大きく前進させたのが、第二次世界大戦だった。日本、ドイツ、イタリアなどの枢軸国と、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦などを含む連合国との間で起こったこの大戦では、多くの兵士たちが傷の感染で命を落とした。戦場で兵士たちが手足の切断を余儀なくされる中、感染症の治療薬を国家が渇望していたのだ。
フローリーはアメリカに行き、政府機関が中心となって研究チームが組織された。連合国軍の兵士を救うため、数々の製薬会社が開発競争に乗り出したのである。