自民党政権は、公共事業によって間接的に男性労働者の雇用を守り、企業と女性による福祉の提供で、「小さな政府」を維持してきたといえる。だが、企業はグローバルな競争に直面して、企業福祉を削減した。また、家族形態の多様化で、専業主婦による家族福祉が成り立たなくなってきた。

 そこで、民主党は政府が直接福祉を提供する、欧州の「福祉国家」的なシステムへの転換を構想した。それは、「コンクリートから人へ」という明快なスローガンで表現された。八ッ場ダムをはじめ、国が関与するダム・導水路事業143カ所の見直しを中心とする公共事業が大幅に削減された。

 一方、総選挙の「マニフェスト」で約束した、中学卒業まで月2万6000円の「子ども手当」「高速道路の原則無料化」「農家への戸別所得補償」「高校無償化」という、欧州の社会民主主義的な政策を予算に組み込んだ。

 また、「統治機構改革」の構想も練り上げていた。自民党政権下の政策立案を「官僚丸投げ」と批判し、首相直属の機関である「国家戦略局」と「行政刷新会議」を新設して、予算の骨格や重要政策、国家ビジョンを策定し、省庁間や政府内の政策調整も官僚ではなく与党政治家が行うという構想を立てた。行政の無駄を国民に公開しながら削減しようという「事業仕分け」という画期的な取り組みも記憶に残る。

自民党政権から民主党政権へ
深く考えられた構想が、ぶつかった壁

 また、自民党政権では政策立案の中心だった「政務調査会」と「与党事前審査」を、民主党は廃止した。

 自民党政権では、族議員やさまざまな業界団体が利益獲得を求めてのさばった一方で、首相など閣僚はほとんどこの過程に関与できず、内閣よりも党が実質的に政策決定権を持つ「権力の二重構造」が問題となっていたからだ。

 民主党は、与党事前審査の代わりに、副大臣が主催し、与党議員と意見交換する「各省政策会議」を開催し、「権力の二重構造」の解体を目指した。この会議は政府の公式な会議として開催し、議事録要旨の公開により透明性が確保されるとした。自民党の与党事前審査が非公式であり、その内容が非公開だったのと大きな違いだった。

 また、構想で重要だったのは、「各省政策会議」が業界団体等からの陳情を原則受け付けないことだ。民主党政権では、業界団体からの陳情は幹事長室が一元的に受け付けて各省庁の政務三役に伝達される。それを踏まえて、政務三役は法案を取りまとめて内閣に提出する。内閣に提出された法案は、「閣僚委員会」で調整されて閣議に提出されるとした。

 そのほかにも、自民党政権下で、与党事前審査を経て国会に提出された法案に「党議拘束」がかけられ、与党は国会で法案の修正ができず、形骸化していると批判されていた国会の改革も民主党は構想した。具体的には、「委員会中心主義」を打ち出し、法案に対する「党議拘束」を委員会審議の段階ではかけず、審議が終了して採決を行う直前にかける。その結果、与党議員は委員会で法案の修正を行うことができ、自民党政権時に形骸化していた委員会審議を実質化しようとした(本連載第38回)。

 要するに、民主党は2009年の政権獲得時に、グローバリゼーションに対応して、自民党政治を抜本的に改革し、国家像を転換する壮大な構想を描いていたということだ。

 しかし、民主党政権は、社会民主的な政策を実現するための財源不足の問題に直面した。結局、2010年の参院選の敗北で、参院で過半数を失う「ねじれ国会」となったことで、すべての構想は、当時の野党、自民党・公明党に阻まれてしまった。

 その上、官僚組織をうまく動かすことができないこと、「寄り合い所帯」と批判された党内の政策志向の分裂により、稚拙な政権運営となったことも、改革を頓挫させた要因となった。

 民主党が描いた国家改造ともいうべき構想そのものの是非は、ここでは評価しない。しかし、当時の民主党の政治家たちが長い時間をかけて、統治機構から個別の政策に至るまで、新たな日本の構想を練り上げることに、真摯な姿勢で取り組んだことは間違いない。

 それと比べれば、現在の野党共闘は、自民党政治に代わる国家像を提示する努力を怠り、何の信念もなく、単なる数合わせの野合でしかない。荒唐無稽で無責任な財源論に堕したバラマキ合戦に終始している。政権交代を目指すなど笑止千万。まったくお話にならないレベルだと断言しておきたい。