【お寺の掲示板93】自分の“機嫌”は自分で取る鳳林寺(静岡) 投稿者:holyjitemple [2021年7月7日] 

試練に直面したとき、自分の心をコントロールし切れるかどうかでその人の信用は決まります。自分の“機嫌”と向き合い、他の人に不機嫌をまき散らさない。「譏嫌(きげん)」を避ける智慧(ちえ)を身に付けましょう。(解説/僧侶 江田智昭)

不機嫌が「譏嫌」を招かないように

『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)という番組では、毎回とんでもないミッションが課せられます。この言葉は、「6000段の階段を上って滝に向かう」というインドの秘境ロケの際、お笑いコンビ「ANZEN漫才」のみやぞんさんが口にしたものです。

 もし同じことをさせられたら、たいていの人は間違いなく疲れきって不機嫌になると思います。仕事とはいえ、このような過酷な状況下であっても、自分自身の“機嫌”をコントロールするみやぞんさんに対して、ネット上では驚嘆の声が上がっていました。

 実はこの“機嫌”という言葉は仏教に由来しています。もともとは「譏嫌」と書いたようで、これは「息世譏嫌戒(そくせきげんかい)」という仏教の戒律から来ています。「譏」には「そしる」という意味があるため、この言葉は「僧侶は世間の人々からそしり嫌われるような行動を取ってはいけない」という戒めになります。仏教の出家者たちは世間の人々からお布施をいただいて生活を送っており、世間から嫌われてしまうと出家生活が成り立たなくなってしまうため、このような戒律が制定されたようです。

 その後、「気持ち」の意味を持つようになった「機」の字を当てることで、「気分の良しあし」を意味する“機嫌”へと変化していきました。

 どんな人でも日によって機嫌の良しあしは当然あるものですが、世の中には、自分の機嫌が悪いことを周りに悟らせて、無意識に周囲をコントロールしようとする人がいます。機嫌が悪い様子を示すと、たいてい周りの人が気を使ってくれるので、本人としては不機嫌なほうが物事を進めやすくなるというわけです。

 周囲の人々からすれば甚だ迷惑な話ですが、それが本人の中では勝手に成功体験のようになり、不機嫌な態度を示すことが常態化してクセになっている人も数多く存在しているように見受けられます。

 とはいえ、そういう人は目上の人や先輩に対しては決してそのような態度を取ることがないものです。結局のところ、不機嫌な態度を示すのは、周囲に対する甘えにすぎません。不機嫌な態度を取ることで周囲をコントロールしている気持ちになり、得をしているつもりなのかもしれませんが、その人の信用度は確実に大きく下落していきます。

 どんな人でも不機嫌になるときはあります。しかし、周りの人々はしっかりとその行いを観察しており、決して忘れることはありません。自分の“機嫌”を自分で取ることができない人は信用をなくし、最終的に周囲から「譏嫌(そしりきらわれる)」ということを、不機嫌なときこそ忘れずにおきましょう。