塩野義製薬
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「抗生物質といえば塩野義製薬」という時代を知る人は年々少なくなっているのではないだろうか。現在の塩野義はHIVなどの感染症領域と、うつ病や疼痛などの中枢神経系領域を主力とする。高脂血症治療剤「クレストール」と抗うつ剤・疼痛治療薬「サインバルタ」は一世を風靡したブランド品であり、抗インフルエンザ薬「ゾフルーザ」やOTC薬のビタミン製剤「ポポンS」と鎮痛剤「セデス」なども塩野義らしさを感じる製品だ。

 現在の塩野義の収益柱は抗HIV薬フランチャイズ(製品名「テビケイ」「トリーメク」「ジャルカ」「ドバト」「カベヌバ」)である。国内ではHIV治療薬の市場は大きくないため塩野義のHIV治療への貢献度は過小評価されているが、塩野義のHIVへの取り組みがなければHIVというエピデミックの鎮静化にはさらなる時間を要したはずである。そして現代のエピデミックである新型コロナウイルスへの塩野義の取り組みは社運を賭した切迫感が感じられる。

 かつての塩野義は、有数の抗生物質(抗菌剤)と強力な営業部隊で攻勢をかけ、抗生物質全盛の時代に躍進を遂げた会社である。最盛期の80年代前半に塩野義の抗生物質市場のシェアは25%を占めた。塩野義と抗生物質の関係は、1960年代に米イーライリリーが開発に成功したセファロスポリン系の抗生物質を導入したことに始まり、82年に世界初のオキサセフェム系抗生物質「シオマリン」を自社創製品として発売し、88年に「フルマリン」、97年に「フロモックス」を相次いで製品化した。感染症領域の研究開発力は高く評価された。だが、90年代に抗生物質の過剰投与と薬剤耐性菌の問題で適正使用の動きが強まると、塩野義の業績は悪化の一途を辿ることになった。

 救世主はクレストールである。クレストールは91年に塩野義が創製し、98年に英アストラゼネカへグローバルの開発及び販売権を譲り渡した。開発早期の段階での導出に対して、海外進出の機会を自ら放棄したことや、自前の利益を棄損したと非難された。アストラゼネカはクレストールの開発を一気に進め、結果としてクレストールは世界80カ国以上で発売され、塩野義は累計6000億円を上回るロイヤルティ収入を得ることができた。ただしクレストールの成功はロイヤルティ依存経営という副作用をもたらすことになった。