イギリスの「二枚舌外交」が
紛争を引き起こす原因に

 連合国側の一員として大戦に参戦していたイギリスは、ユダヤ人に戦費の調達を依頼しようと考え、「連合国側の味方をすれば、パレスチナの地でのユダヤ人の国の建設を支持する」と約束した。これを「バルフォア宣言」という。

 ユダヤ人にとって、祖先が暮らしていた土地に戻ることは悲願であり、この宣言を機にユダヤ人国家を建設しようとする「シオニズム運動」が一気に盛り上がった。

 イギリスは国連にも働きかけ、パレスチナの地をユダヤ人のために分割させる。その結果、1948年にイスラエルが建国された。

 ところがイギリスは、ユダヤ人だけでなくアラブ人にも“いい顔”をしていた。当時まだオスマン帝国の支配下に置かれていたアラブ人に対して、「オスマン帝国に反旗を翻せば、パレスチナの地にアラブ人国家を建設する」という「フサイン=マクマホン協定」を締結していたのだ。このイギリスの「二枚舌外交」こそが、現在のパレスチナ問題の直接の原因となったのである。

 ユダヤ人はバルフォア宣言に基づき、1920年頃からパレスチナへの入植を開始しており、第二次世界大戦中にナチス・ドイツによる大量虐殺(ホロコースト)がはじまると、さらに多くのユダヤ人がパレスチナに押しかけた。当然、パレスチナのアラブ人はこれに猛反発。各地で武力衝突やテロ活動が起こった。

 そして第二次世界大戦終了後の1947年、イギリスがこの問題から逃げてパレスチナの委任統治を返上したため、国連はパレスチナをユダヤ独立国とアラブ独立国に分割すること(パレスチナ分割決議)で解決しようとしたが、アラブ人は国連の決議を受け入れない。パレスチナが内戦状態となるなか、ユダヤ人は1948年にイスラエルの建国を宣言した。