世界的なワイン品評会で金賞を連続受賞してきた、グレイスワインこと中央葡萄酒の「キュヴェ三澤 明野甲州」。これを今秋から、まったく新たな味わいの新製品に切り替えるという。同社の取締役醸造責任者であり、日本を代表する醸造家である三澤彩奈さんに、新製品発売の背景や、その味わい、コロナ禍での需要動向や見通しなどについて聞いた。(構成:柴田むつみ)

――2021年11月27日、中央葡萄酒は地元古来のブドウ「甲州」の新たな魅力を引き出した新製品「三澤甲州2020」を発売します。世界的に権威のある品評会「デキャンタ ワールドワインアワード(DWWA)」で金賞を連続受賞してきた「キュヴェ三澤 明野甲州」から、あえて新製品に切り替えるというのは思い切った決断ですが、背景や狙いを教えてください。

日本を代表する醸造家・三澤彩奈さんが「覚悟」をもって打ち出す次なるワイン三澤彩奈(みさわ・あやな)
中央葡萄酒株式会社 取締役栽培醸造責任者
マレーシアのワインイベントを手伝った際、自社ワインを愛飲してくれていた外国人夫婦に感激し、ワイン造りの道へ。ボルドー大学卒業後は家業に戻り、シーズンオフには南アフリカ・オーストラリア・チリ等へ武者修行に出て新たな知見を吸収、ブドウ栽培や醸造を父・茂計とともに見直してきた。スパークリングワインやロゼワインなど新たな仕込みにも挑戦し、DWWAでは2014年以来、5年連続金賞を受賞するなか、2016年は欧州勢が上位を占めるスパークリング部門でも最高賞を受賞した。

はい、今回の「三澤甲州2020」はかなりの覚悟をもって出します。仰っていただいたとおり、世界でも認めていただいている、旧「キュヴェ三澤 明野甲州」を変えるのは強い決意が必要でした。

実のところ、旧「キュヴェ三澤 明野甲州2013」が2014年にDWWAで金賞を受賞して以来、「これを超えるものを造らないといけない」という危機感がありました。世界的に素晴らしい評価をいただいたけれど、これが完成形ではないはずだ、自分が日本人醸造家としてできることは何か、甲州というブドウのさらなる魅力を引き出すにはどうすればよいか、と考えてきました。

もう少し具体的に言うと、甲州の上品さやきめ細やかさというのが、いわゆる日本人自身がとらえているものの中に収まっていたら、世界には飽きられてしまうのではないかというのが私の懸念でした。甲州に秘められた情趣のある個性を失うことなく、国際的なワインとしての形を成すこと、そして日本固有の品種であっても、世界に理解され、愛されることが重要だと考えていました。

アルコール度数が低く、繊細というのは甲州の特徴ですが、海外の銘醸ワインのようなダイナミックさや凝縮度があり、畑の個性を感じるようなブドウ自身の力を信じたからこそ生まれる味わいがないと、今は世界で評価されていても先はないのではないかと思ったのです。

――ずいぶん前に感じられた危機感から、今回の新製品はスタートされていたんですね。「三澤甲州2020」の造りや味わい、香りには、どのような特徴があるのですか。

日本を代表する醸造家・三澤彩奈さんが「覚悟」をもって打ち出す次なるワイン今月新たに発売される「三澤甲州2020」:
・タイプ:白(辛口)
・価格:オープン
・発売日:2021年11月27日(ワイナリー併設ショップ、全国の特約酒販店にて)

山梨県の明野(日照時間が日本一長い)で育つ甲州は、ブドウ自体に特徴があります。有機酸の組成を調べてみると、一般的な甲州と比べてリンゴ酸の含有量が多いことが分かりました。ワイン造りにおいては、ブドウの糖を酵母が分解してアルコールに代謝するアルコール発酵が重要ですが、アルコール発酵の後に行われる乳酸菌による発酵(マロラクティック発酵)で、リンゴ酸を乳酸に分解する発酵にも面白い効果があります。もともと甲州がもつストレートな酸も魅力なのですが、マロラクティック発酵を経ると、うまみを含んだようなまろやかな酸になる。乳酸菌の発酵によって代謝物が出ることで、キャラメルのような甘やかな香りが出たり、複雑な味わいのワインになったりします。

ただ、赤ワインの多くはマロラクティック発酵を経ますが、白ワインでこれを行う品種は限られています。マロラクティック発酵によって、品種自体がもつ香りが隠されてしまうと嫌がる醸造家もいて、私が今回出す新作には「これは甲州じゃない」という批判が出るだろうとも想定してします。それでも甲州の伸びしろを追求したかった。

なんといっても、無理やり私が手を加えて起こしたことではなくて、甲州がもつ力によって自然に起こったことなのです。三澤農場の甲州がリンゴ酸を多く含むなら、マロラクティック発酵が自然に起こるかもしれないと思い、2017年に一樽だけ実験を行いました。乳酸菌は暖かくならないと活動しないので、ブドウの収穫が終わった10-11月の寒い時期でなく、年が明けて春先になれば乳酸菌が活動を始めるかもしれないと、期待して待っていました。すると、春になってやはり泡が出てきましたので、分析を行ったところ、マロラクティック発酵が起こっていることが確認されました。スターターと呼ばれる市販の乳酸菌を添加する方法もありますが、これは自然がなせる技によってできたものです。

――実験をすでに2017年からされていたのは、探求心旺盛な彩奈さんらしいですね。

ワイン造りは一年に一度しか経験できませんから(笑)。

もう一つ、今回の新作における大きな変化であり挑戦は、フランスなどで行われている土着酵母を使った仕込みを行ったことです。日本酒の場合と異なり、ワインの場合はブドウのもつブドウ糖と果糖を酵母が直接分解できるので発酵しやすいのです。ブドウを収穫する2-3日前、畑で小さな瓶にブドウを入れて潰しておくと自然に発酵が始まります。それを絞って果汁に添加した土着酵母で発酵させたのが、今回の「三澤甲州2020」です。

旧「キュヴェ三澤 明野甲州」は王道に沿った挑戦でしたが、今回の「三澤甲州」は日本では誰もやっていない、ただ明野町という産地が生み出す味わいにこだわって造ったものです。ブドウの果皮を受け皿とした土着酵母は固より、ダイレクトに飛び込む土壌や花粉の酵母を取り込むことで、あくまでも土地に拘りました。

3年間の試験醸造を経て、マロラクティック発酵が自然に起きることを確認し、今回、意を決して発売することにしました。

味わいはこれまでの「キュヴェ三澤 明野甲州」とは変わります。ワインを口に含んだときの複雑な味わいや余韻、さらに香りも今までにないものです。産地の要素を総集した新しい個性を感じていただきたいと思います。風景がワインそのものの味わいです。

――試行錯誤を繰り返されてきて、想像していたとおりの仕上がりになりましたか。

違う世界が見えてきたと言えます。

これは旧「キュヴェ三澤 明野甲州」を補糖や補酸をせず、低収量で丁寧に育てた畑で凝縮させて造ってきたという土台があって見えてきたことではあります。

ただ、これまでの甲州と味がまったく変わるということを考えると、今までだったら決断できなかったかもしれません。コロナ禍で私自身が今できることをやらなくてはという思いが強まったことも背中を押してくれたのだと思います。「三澤甲州」の生産量は、約4500本と多くないので、話題になるほど浸透しないとは思いますが、お試しいただいた方には、旧「キュヴェ三澤 明野甲州」のその先と私自身の成長を感じていただける、なんらか疑問を投げかける甲州だと思っています。

――お父上でもある中央葡萄酒の三澤茂計社長は、試飲されてどんな感想をお持ちでしたか。

父は、最初難しい顔をしていました。父は甲州に対して明確な指向をもっているので、香りや味わいが変わったことを「甲州らしくない」と捉えたかもしれません。ただ、酸がきちんとありつつも、従来の甲州のようにシャープなだけでなく、まろやかに包むような複雑さがあって、お料理が欲しくなるところに「面白いね」と言ってくれました。

――それは、褒め言葉なのでは?

どうでしょう……ただ、世界のムーブメントとしても、ローカルな品種において新しい挑戦が次々と行われています。

たとえば、甲州が最初にDWWAに出品された頃、審査員の方々に甲州のライバルと言われて以来、意識をするようになった品種に、スペインのアルバリーニョ(主にイベリア半島を原産とする白ブドウで、スペインを代表する品種)と、オーストリアのグリューナー・ヴェルトリーナー(オーストリアの地場品種で、同地でもっとも生産量が多い)があります。いずれも当時はロンドンで1本15ポンド程であったと記憶していますが、今やアルバリーニョの中には、60ポンド以上するものも見かけるようになりました。複雑なスタイルで市場を驚かしています。各国の同世代の醸造家たちの挑戦を見ていて、甲州もこれで満足したらダメだなとつねづね感じています。

――今回の「三澤甲州2020」では、ラベルも一新されました。

味わいとともに、せっかくなら名称やラベルも変えようということになりました。もともと「キュヴェ三澤 明野甲州」という名前は長いと思っていました。造り手、地名、品種というすべてが入った名称は世界でも稀なので、三澤農場から生まれた甲州という意味で「三澤甲州」という名前にしました。

ラベルデザインは、日本を代表するグラフィックデザイナーの原研哉さんにこれまでもお願いしていました。最初に頂いた新たなラベル案では、「三澤」「甲州」と二行になっており、字体も異なっていました。そして「明野」と小さく入っていたのですが、「三澤甲州」の味わいのイメージと少し違っていました。原さんに率直にご相談したところ、すぐに別案を送ってくださいました。

次に頂いた案が最終形でした。王之の文字をモデルに書いてくださったそうです(写真)。私自身、王之の書の廃れない繊細さや美しさに憧れていました。グレイスワインも、50年も100年も廃れない良さを目指しています。このようなラベルが顔となり、光栄に感じました。

――彩奈さんも達筆なので、てっきり彩奈さんの字かと思ってました(笑)。

まさか(笑)。違います!

――11月27日の発売が楽しみですね。ところで、コロナ禍はピークを越えたようにも思えますが、昨春からの飲食店の時短営業や酒類提供禁止の影響は大きかったのではないですか。

小社の場合は個人のお客さまより、飲食店様向けの出荷がもともと多かったので、たしかに皆様ご苦労されていらっしゃいました。オントレードとよばれる飲食店や、ワイン専門店での対面販売が難しくなったので、私たちも一度は従来手薄だったホームページの直販体制も少し整備してはみたのですが……やっぱり覚悟と決意をもってワインを造っていますので、それを理解して売ってくださる方たちの凄みも同時に感じました。

ですので、今は、飲食店様向け中心の従来の体制に戻っています。これまで、一部の卸売先様からECモールでも販売いただいていたのですが、効率を重視してワイン文化を伝えきるには限界があるだろうと、そちらは止めていただくよう一軒一軒お電話してお詫びしました。一部からお叱りも受けましたが、ワインの魅力を伝えつつ売っていただくことが我々の生命線だということも痛感しましたので。

――ホームページも刷新されてましたよね。コロナ禍による家飲み需要増加によって、個人のお客様も増えたのかなと思っていました。

先ほど申し上げたような理由で、ことさらに個人のお客様向けは増やしていないのですが、とはいえ、これまでよりも個人のお客様と直接つながる機会は増えました。

ご用命をいただいたお客様には、コロナ禍以降はできる限り一筆ずつ添えてお送りしていたのですが、それに反応して手紙を送ってくださるお客様がいらっしゃって、ものすごく感激しました。「僕は90代で、あなたのおじいさんの代からグレイスのワインを飲んでいて…」といった個々のエピソードを便箋にいっぱい書いてくださる方が多いのです。個人のお客様に目を向けたからこそ触れられた温かい思いでした。「今度、ワイナリーに行きます」と書いてあると、そのときにはお出迎えできるようにしよう、と思ってしまいます。

――海外の需要は回復していますか。

実のところ、海外は好調でした。今や、小社でスタンダードな「グレイス甲州」は生産量の半分を輸出しており、全生産量で見ても3割は海外で販売しています。例えば、ロシアの回復は早かったですし、中国ふくめて台湾などアジア圏も早く回復したようです。スウェーデン、ベルギーあたりも昨夏には注文をいただいていました。当時イギリスはコロナ対策に苦戦していましたが、地域によって回復度はかなり違うように思われました。

また、昨年のコロナ禍以降は多くの海外のオンライン取材を受けました。オリンピックもありましたので、日本に注目度が集まっていたようです。コロナ禍の状況や、それによる日本のワイン市場への影響、ワインづくりの変化などを聞かれることが多かったです。国外へ行く機会は減りましたが、日本のワインのことを忘れないでいてくださってありがたいと思いました。

――だとすると、やはり国内の飲食店需要の回復が待たれますね。

そうですね。県内の飲食店様をご招待して会を催したり、キュヴェ三澤のバックビンテージを特約酒販店向けに出したり、ごくささやかなことですが、少しでもご協力できることがあればと思っています。私どもワイナリー一家に休日は無く、幼少期の幸せな記憶は家族と過ごしたレストランにありましたので。(談)