企業や学校、役所が、6万円の書籍を購入する理由

 小野自身、90年代までは「羽振りがいいアウトロー」だった。かつて、彼の仕事を手伝ったという出版関係者はこう語る。

「最初に会ったのは90年代後半だった。一見普通のビジネスマンのような濃紺のスーツをビシっと着ていたんだけど、その風貌からは『怪しさ』がむんむんとにじみ出ていたよ。小野とA社の関係は当時から。A社と怪しい紳士たちとの付き合いは有名だったよ。小野もその中の一人だった」

 出版関係者に小野を紹介した者からは、「小野さんは出版関係の仕事をしていて、手伝ってくれる人を探している。よかったら協力してあげてほしい」と言われていた。そして、後日、都内の高級住宅街付近、雑居ビルの2階にある事務所で詳しい話を聞くことになった。

 20畳ほどの広さの部屋にはスチールデスクが数台置かれており、その上には十数台の電話機と、屈強で目つきの鋭いスーツ姿の男たち十数名が、受話器を握って“営業電話”に勤しんでいた。

「1冊6万円になりますが、何冊購入していただけますかね」と営業電話らしからぬぞんざいな口調で電話をしていると、「おい、お前ら、もっと気合い入れていけ!」と小野が吠え、営業マンは「うぃっす!」と大声で返事をする。

 促されて席に着くと、小野が業務内容について説明を始めた。「うちはね、同和本をつくって、売ってるんだ。それで、そろそろ今年バージョンを制作したいと思っていてね。よかったら、本書いてくれないかな。100万払うから」

「いわゆる『似非同和』の手伝いだからね。さすがに即答は避けた。当時の小野さんの最大のシノギだったんだろうね」

「昨年バージョン」を見せてもらうと、A4版で400ページほど。表紙には豪華な装飾が施され、高級感のある箱に入っていた。

「断ろうと『ぼく、同和問題に詳しくないし、こんな分厚い本、書けませんよ』なんて言ったと思う。でも、『いやいや、大丈夫。この本なんて、神保町の古本街に行って古い本を買ってきてそれを組み合わせただけだから』って答えが返ってきた。古い本じゃないとダメだっていうのもあったな。著者がとっくに死んでるような古い本。それを何冊も買ってきて、適当にツギハギしてさ、そのまんま本にしちゃったの。これが6万円」

 製作の内情を知ると「これが6万なんて、誰が買うものか」と考えていた。ところが、目の前の営業マンはどんどん売りさばいていく。その販売先は、企業の総務部、役所、学校――。

整理されているとはいえない街宣車の車内

「総会屋」「似非右翼」「似非同和」など、政治家や公的機関、大企業に食い込みながらトラブルを誘い出し、ときには仕掛け、あるいは彼らをトラブルから守ることを生業とするアウトローたちは、戦後日本の急速な経済成長の裏に確かに存在していた。そして、近代化の進展とともに「あってはならぬもの」とされ、表面上は消されていく暴力性の残余に巣食うことで生き長らえてきた。

 彼らをある種の「義賊」と見る者も、あるいは、自分たちのことをそう認識し、信念を持って行動している者がいたことも間違いない。しかし、もはや時代は、その「言い訳」を許容する余地を失っていた。

 1981年、総会屋の資金源を断つことを目的とした商法改正がなされた。その後も断続的な総会屋対策がなされるなかで、彼らの多くが徐々にその力を失っていくことになる。暴力装置としての力、さらに、それを潰そうとする権力に対抗する知恵、双方の合わせ技を用いて耐え続けた者だけが生き残っていった。そして、当時はまだ40代だった小野は、その潮流の末期に「勢い」のみで食らいついていった者の一人だった。

「次回はもう少しちゃんとした本にしたいと思ってねえ。毎年新しい本をつくるんだ。そうすれば毎年売れるよ」

 小野は嬉しそうに語っていたという――。