再起をかけて300万円で買い取ったサイト「A」
その後、「営業部長」と呼ばれる「プロジェクトメンバー」から作業の説明を受けたものの、仕事の指示があまりに漠然としていたため、何をしたいのか全くわからない。しかし、「謝礼はしっかり払いますから」と何度も繰り返されたこともあり、軽い気持ちで引き受けた。
大田は「小野が何者なのか」について、基本的な情報は事前に耳にしていた。小野の肩書きは、右翼団体の代表。懲役5年ほどの刑務所生活から戻ってきて数年が経過し、再起をかけて始めたのがインターネットの「サイト運営」だった。
小野が運営していたインターネットサイト「A」は、元々は風俗情報誌を発行する出版社のA社が運営しており、風俗店の広告や有料アダルト動画で収益を上げていた。出版社A社の経営は、90年代までは好景気に支えられたものの、2000年代に入ると経営状態は大きく傾き始めることとなる。その理由は、主要な収入源であった紙媒体の広告売上が減少してきたためだ。
水商売・風俗業界全体の潮流として、紙媒体の情報誌に集中していた広告費がインターネット媒体へと振り向けられるなか、インターネット媒体で広告収入を得られるか否かの基準は、Yahoo!やGoogleといった検索エンジンを用いた検索の結果、そのサイトが上位表示されるかに左右されていった。
A社が自前のインターネット媒体である「A」を立ち上げたのは、まだ紙媒体が中心の景気が良かった時代のことだ。先見の明があるようにも思えるが、それは、紙媒体の広告枠を販売するために多数雇っていた営業マンが、「紙媒体だけではなく、インターネットにも載せましょう」と「広告枠の合わせ売り」をするためのもの。つまり、紙媒体の売上を押し上げる程度の存在に過ぎなかった。たしかに、「A」を立ち上げたことで、多少なりとも広告単価が上がった側面はあったものの、新興媒体に伍するためのSEO対策(検索エンジン最適化)がなされることもなかった。
また、一方では、好景気に踊り、ムダ遣いの絶えない経営体質が改善されることもなく、2000年代に入るとA社の経営は急速に悪化。そして、A社の社長は、債務整理の必要に迫られるなかで、サイト「A」を手放すことを決意する。このとき、以前からA社の社長と交流があった小野に、サイト「A」を300万円で購入する話を持ちかけたのだ。
冷静に考えれば、小野は完全に状況を見誤っていた。本当に儲かっているのであれば、A社がサイト「A」をそう簡単に手放すはずはないだろう。しかし、「これからシャバで食っていくにはいいんじゃないですか」というA社社長の甘いささやきを真に受けて、まともなデューデリジェンスもせずに「夜の世界はカネの匂いがする」という浅薄な思い込みのもと、サイト「A」の買収を決断してしまった。
サイトを買収してから1年ほど経過したとき、買収以前から広告出稿があった企業から継続的な売上こそあったが、サーバー代などの支出が毎月30万円ほどに対して、サイト収入は20万円~30万円と赤字もしくは“トントン”と追い込まれていた。そんなジリ貧状態のなかで、あらゆるツテを辿って、事業改善を目指す「プロジェクトメンバー」を集めようとしていたのだった。
メンバーには「肩書き」、アウトローの人心掌握術
「サイトをリニューアルして儲かったら、カネが入るぞ。まあ、すぐにでも儲かるだろうが、最初の1ヵ月くらいは辛抱してほしい」「このプロジェクトを成功させたい。誰かいい人がいたら紹介してよ」。
小野は、集まってきた「プロジェクトメンバー」には必ずそう話していた。結果を見れば、何の見通しもない“ホラ話”に過ぎず、人件費として払える現金など小野の手元には一銭もない。そもそも、サイト「A」を買収した300万円ですら、「必ず儲けて利息つけて返すから」と知り合いからかき集めていたもののため、すでにその取り立てが始まりつつあった。
ただ、そんな構造など、周りには見えていなかったのも事実だ。そこに集まってきた者たちも、「確かに、カネの匂いがする話だ」と信じきっており、何より、例えば左手小指を“詰め”ている「ベタなアウトロー」たる小野の容姿と態度がその幻想を支えもした。
小野の言葉の端々から感じる「仁義」「任侠」「絆」、そして「良心」までを勝手に期待して、各々が思うがままサイトリニューアルのアイデア・展望を描いていた。それは、大田をプロジェクトに引き込んだ前出の映像制作関係者も同様だ。
はじめて部屋を訪れた際に、「何かインターネット時代の新しい映像配信の仕事をしたいんですよ」とつぶやくと、「今までにない斬新なアダルトサイトをつくりましょうよ」と語られて勝手な幻想を膨らませており、他のメンバーも、それぞれの夢がそこで実現できると思い込んでいた。小野もそれを意識してなのか、それとも無意識なのか、「いまは大変だけど、みんなで頑張って大きく稼ぎましょう」などといった、結果を見れば何のアテもない「希望」を示し続け、それが「プロジェクトメンバー」の期待に拍車をかけた。
「プロジェクトメンバー」は、小野によって「貴重なブレーン」として扱われた。大田たちの発言や“空気”を察知し、その“空気”に抗わないことで心を掴み、「いいねえ、それでいきましょう。どんどんいこう」と鼓舞。何の知識も持たない小野は「サイト改良に邁進している」という構図をつくり上げ、自らもその図式に便乗することに注力していった。
メンバーの意識が高まると、次に、小野はその意識を保つ工夫も見せ始めた。例えば「肩書き」である。
大田は「編集長」、他にも「制作部長」「経営企画室長」「営業部長」などと、主要メンバーは皆「○○部長(リーダー)」になっていった。さらに、この肩書きは小野が命名したわけではなく「肩書きを皆で考えてよ」と、あくまで自分自身が望んで決めたかのように誘導している。
そして、小野は、ことあるごとに肩書きを連呼した。それは、何かミスを犯したときに、「お前、自分で決めたんだろ。責任果たせ!」という“因縁”をつけやすく、小野自身の責任を回避できるが故でもあった。
こうした手法を用いて、小野は知らず知らずのうちに一人ひとりを縛りつけていく。その巧拙を詳しく触れることはしないが、その先に待っていたものは、「良い人」がほとんど“タダ働き”するだけの環境だ。
ただ、そもそも、小野がサイト「A」を買収した判断が、完全に「愚か」だったとは言えないのかもしれない。なぜなら、彼は自らの「経験」に学んだからである。