AKB48はブレイク前になぜ駅前の一等地に
専用劇場を持てたのか

 今や、社会現象ともいえるAKB48。ここまで幅広い世代に知られるビッグアイドルになると、だれが予測したでしょう。その仕掛け人、秋元康氏がトーク番組(※1)で、こう語っていたことがあります。

 「ボクは意外にいいね、と言われるのがうれしいんですよ。まずは(ファンになってもらえるよう)好奇心をもっていただく。そのために敷居を低くすることも大事じゃないかな」。このセリフにこそ、AKB48が成功したカギが隠されています。

 そもそも、「敷居を低くする」つまり、親近感を狙ったアイドルは過去にもたくさんいました。AKB48の前身とも言われるおニャン子クラブも、その辺にいる女の子という素人らしさが受けた、ともっぱらの評判です。こうした経験をもとに、さらに親近感を進化させ「敷居を低くする」ことを、稀代のプロデューサー秋元康氏は思いつきます。それがAKB48です。

 「会える」をキーワードに、アキバという地で「オタク」にフォーカスし、多人数アイドルユニットという「システム」を立ち上げ、「敷居を低くする」ための実験を2005年にスタートしたのです。

 ただ「会える」というからには、彼女たちに会える場を提供しなくてはなりません。そこで、秋葉原の一等地にAKB専用の劇場を持ったのです。しかし、実際に蓋を開けたら、一般の観客はたった7人。全250席の客席に空きが目立つというある意味失敗ともいえるシーンを目の前にすれば、普通はドキドキものです。しかし秋元氏は動じることもなく「ワクワクしていた」とネット上の対談で語っています。(※2)

 逆にこの「専用劇場を自前で持つ」ことを躊躇したのが、AKB48のライバルとも言えるモーニング娘。のプロデューサー、つんく♂でした。

 あるTV番組(※3)で

「ぼくらも(AKBが借りる前に)、そこを何回か借りてくれといわれ、借りようか!と話を聞いたことがあるんです。ナンボくらいで借りられるの?と聞いたら、結構高かったんですよね……」

 つんく♂氏のそろばん勘定は、どうやら合わなかったようです。

※1『DEEP PEOPLE 音楽プロデューサー』(NHK 2011年9月)
※2『ファイブエル』(70号 2011年8月号)
※3『テリー伊藤の月に吠えろ』(日本BS放送2011年6月)