認知科学をベースに「無理なく人を動かす方法」を語った『チームが自然に生まれ変わる』は、マッキンゼーやネスレ、ほぼ日CFOなどを経て、エール株式会社の取締役として活躍する篠田真貴子さんも絶賛する「新時代のリーダー論」だ。
多くのマネジャーが「従来のリーダーシップでは、もうやっていけない…」と実感しているいま、部下を厳しく管理することなく、それでも圧倒的な成果を上げ続けるには、どんな「発想転換」が求められているのだろうか?
才能を見えなくするもの
リーダーにとって重要な仕事の一つは、チーム内のメンバーの根本的な欲求(Want to)を把握し、組織のパーパスとの接合点を見出していくことだ。
前回は、そのためにいわゆる1on1などの手法が有効であることを論じてきた。
※参考記事
つい口にしていませんか? ダメな1on1に共通する「最初のひと言」
とはいえ、リーダーの前で自分のWant toにうまく気づけない人は多い。
ここでネックになるのが「謙遜」だ。
たとえば、みずからのWant toを探っていく過程で、なんとなく自分にはリーダーシップがあるのかもしれないと感じても、「いやいや、私なんてリーダーの器ではありません」「自分はチームのためにコツコツとがんばるのが性に合っていますから」というような態度を取ってしまう人がいる。
日本人にはいまだに「謙遜は美徳」という固定観念があるからだろうか。
「これが自分の才能です」と言い切る人はまだまだ少ない。
さらに、自分を卑下するような振る舞いの裏側には、じつはその人なりの生存戦略があるケースもある。
仮に自分のリーダー願望を正直に表明すれば、周りからのプレッシャーが高まるかもしれない。
それを避けるために本音を隠し、謙虚な自分を装っている人もいるだろう。
また、「リーダー職=面倒な仕事」という内部モデルに支配されている人は、とにかく厄介ごとに巻き込まれたくないという想いで、「私にはリーダーになる資格なんてありません」と言っていたりする。
しかし、謙遜は非常に危険だ。
本来はその才能があるのに、「自分にはそんな才能はありません」という態度を取り続けていると、しだいにそれが本人のコンフォートゾーンになってしまう。
「これといった能力はないけど、みんなに優しくて謙虚ないい人」を長年演じているうちに、本当に無能な状態を抜け出せなくなる。
部下がそうなってしまう前に「あなたにはこんな才能がある」と気づかせることも、リーダーの大切な役割だ。
たとえば1on1の場で、謙遜しがちなメンバーが「私は他人に流されがちでして……」などと言いはじめたら、リーダーの側としては「それって『仲間と調和しながら物事を達成する能力』とも言えると思いませんか?」というように、まったく別のアプローチで相手の才能を言語化してみるといい。
このプロセスを繰り返すことで、メンバーはしだいに自分の真のWant toに目覚めていくことができる。
謙遜と同じくらいWant to発見の邪魔になるのが「卑屈さ」だ。
こうしたコンプレックス感情は、元をたどれば、幼いころに親に投げかけられた言葉などに行き着くことが多く、なかなか容易には振り解けない。
親からの「あなたはコミュニケーションが得意なタイプじゃない」「おまえは人に優しくできない」といった言葉によって、実際に「口ベタな人」や「冷淡な人」がつくられたりしている。
「あんたはバカだから」と親に言われ続けたせいで、大人になってからも無意識に“バカキャラ”を演じ続けてしまう人がいたり、反対に「賢くならなくては……」というプレッシャーを感じ続ける人がいたりする。
親の言葉というのは、人間の内部モデルに超大な影響を与える。
ただし、外界からの情報を処理するプロセスは、あとからいくらでも変えられるので、諦めたり悲観したりする必要はまったくない。
やるべきことは同じだ。
本人を縛っているHave to(やらねばならないと思いこんでいること)を少しずつ振り解き、心からのWant toに気づくのをサポートしていこう。