小松製作所社長・河合良成、協和発酵工業社長・加藤弁三郎、ジャパンライン社長・竹中治、ソニー社長・井深大
 前回に続き、「ダイヤモンド」1960年9月10日号に掲載された、小松製作所社長の河合良成、協和発酵工業社長の加藤弁三郎、ジャパンライン(当時日東商船)社長の竹中治、ソニー社長の井深大による座談会である。当時、河合は74歳、加藤は61歳、竹中は60歳、井深は52歳。戦前の価値観にとらわれない層は当時、「アプレゲール(戦後派)」と呼ばれたが、記事内でも加藤が自身を「完全なアプレゲール」と称している。物の考え方というのは決して年齢だけで分断されるものではないだろうが、60年代に入り、もはや戦後の混乱期から脱して、企業経営にも新しい発想が求められている様子が4人の会話の中からうかがえる。

 後半でも、面白い問題提起を繰り出すのは最も若い井深だ。例えば、あらゆるものが機械化され、電子計算機(コンピューター)が普及した未来では、「状況判断は、電子計算機がすっかりやってくれる。そうすると最後にやるのは決断だけなんですね」と井深は言う。コンピューターは判断に必要なデータは出せるが、決断はできない。それをするのが人間であり、企業トップだというのだ。

 そして経営者に必要なのは「何をやるか」という決断より、むしろ「同時に何をやめなければならないか」という判断を下すための基準を持つことで、それができていない企業が多いと嘆く。では「やめる基準」とは何か。「今新しくその仕事をおまえさんは始める元気があるか、それがないのだったらその仕事はもうやめる方向に向かうべきだ」と井深は言う。

 ソニーを代表格に、日本の電機メーカーは2000年代初頭、不採算事業を切る決断ができず、延々と赤字を垂れ流してきた経緯がある。一方で、革新的な新事業を生み出すことはできず、GAFA(米グーグル、米アップル、米フェイスブック〈現メタ〉、米アマゾン・ドット・コム)のようなテック企業の後塵を拝した。座談会の前半で井深は、経営者は大株主であるべきで、サラリーマン社長では革新性は発揮できないと言い切っていたが、その発言と併せても実に含蓄に富んでいる。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

社長業の楽しさは創作と完成
政治にはない「割り切れる喜び」

「ダイヤモンド」1960年9月10日号1960年9月10日号より

――仕事上のことですけれども、社長の楽しみと悩みといったことについて一つ。

竹中 自分の思ったことができれば一番楽しい。やり損なったら逆に悩みになる。しかしこれはいけないということがはっきり分かれば諦めるが、中途半端なやつが一番の悩みだな。事業家というものはみんなそういうものではないかな。

加藤 それで生きているようなものではないですか。自分の創意がともかく生かされるということでしょうね、楽しみは。

――事業欲というところに、大きな楽しみがあるんでしょうね。