「自由行動に対する嫉妬」と
「同調圧力」を処理する必要がある

 コロナの流行下にあっても、もろもろの行動を個人の自由な選択に任せることを基本方針とするには、社会にはびこっている「自由行動に対する嫉妬」の感情を処理しなければなるまい。

 端的に言って、コロナ自粛を他人にも強要したい人は、他人が飲食やイベントなどを楽しむことを快く思わない嫉妬の感情を何がしか持っている。

「自分でリスクを取って自分の行動を選択したのだから、いいではないか」と考えて放っておくといいと思うのだが、感情的にはそうもいかないのだろう。人は、自分と他人を比べる動物である。

 しかし、この嫉妬の感情を放置しておくと、それが社会的な行動につながる「同調圧力」を生む。政府やメディアは、むしろそれを利用し、後押ししてきた面がある。同調圧力がある方が政府は国民をコントロールしやすいし、メディアは大衆の嫉妬の感情をかき立てる側に回る方が「視聴率」的な人気を獲得しやすかったのだろう。

 しかし、嫉妬の感情に起因する同調圧力が、非生産的な一律の規制を後押ししているのだとすると、そろそろ意識を転換すべき頃合いではないか。

「他人が自分の選択で楽しむことを制約しようとすることは、非生産的なお節介です」「それは嫉妬の感情に起因するものです。あー、恥ずかしい!」といったメッセージを方々で発していいのではないだろうか。

 コロナの状況が今後どうなるのかは予想しがたいが、再びずるずると「まん防」から「緊急事態宣言」、そして以前と同じ一律の規制へと進むようでは残念だ。

 コロナも3年目だ。そろそろ、個人の自由な選択を基本とするように「考え方」を変えるべき頃合いではないだろうか。