「人間は万物の尺度である」と言った
ソクラテスより16歳上のプロタゴラス

 ソクラテスよりも16歳ほど年長の、プロタゴラス(BC485頃-BC415頃)という哲学者がいました。

 プロタゴラスは代表的なソフィストです。

 彼は「人間は万物の尺度である」という言葉を残しています。

 人によって考え方は違っている。それぞれの考え方が尺度となるのであって、何が正しいかは人によって異なるという論理です。

 究極の相対主義です。

 それは思考のみならず行動においても、普遍的に通用する標準を認めない主観主義に傾斜する危険を内包しています。

 プラトンの『ソクラテスの弁明』の中に、ソクラテスの次のような発言が登場します。

「私が自分の使命を果さんとして語るとき、誰かそれを聴くことを望む者があれば、青年であれ老人であれ、何人に対してもこれを拒むようなことはしなかったのである。また私は報酬を得る時には語るが、他の場合には語らぬというようなことなく、むしろ貧富の差別なく何人の質問にも応ずるのみならず、望む者には私の質問に答えつつ私のいうところを聴くことをも許したのだった」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン著、久保勉訳、岩波文庫)

 ソクラテスは弁論術によって不知を自覚させようとした。

 そのとき正義や社会的良識を曲げることはしなかったし、報酬も受け取らなかった。だから彼はソフィストではなかったと、プラトンは書いています。

 しかし、人々に不知を自覚させようとするソクラテスの弁論術と、ただただ弁論に勝つためだけに習うソフィストの弁論術は、目的の質には大差があるにしても方法論として考えれば、どれほどの差があるでしょうか。

 また、弁論を教えることで報酬を得ること自体は悪いことでしょうか。

 たとえば、ソクラテスに質問攻めにされて賢くなった若者が、感謝の印として持ち合わせのワインをソクラテスに受け取ってもらったら、これは報酬とは呼ばないのか……などと考えてしまいます。

 また、ソクラテスは公開裁判で死刑とされましたが、プラトンが描くほどの偉大な尊敬に値する人物であったなら、このような判決が実現したのかという疑念も残ります。

 ペロポネソス戦争の末期、実現しかけたスパルタとの和約を台なしにしてしまった美青年の政治家アルキビアデスは、ソクラテスの弟子であり、恋愛感情とも思えるほどソクラテスに心酔していたといわれています。

 また、アテナイの市政を混乱させた30人政権の一人であったクリティアスがソクラテスの弟子だった、という説も有力です。

 このように当時のアテナイに流れていた話などをも考慮に入れてみると、ソクラテスはその志は高かったかもしれないけれど、現実には、プロタゴラスと似たようなソフィストの一人と見られていた可能性がないわけではなかったようにも思われます。

 ソクラテスが非常に優れた人物であったことは、確かです。

 しかしこれまでのように、常人とは隔絶した偉大な人物であったとイメージすることは、プラトンがつくったソクラテス像にいささか踊らされているのではないか、と僕はひそかに考えています。

 最後にソクラテスについてもっと勉強したい人には、納富信留『哲学者の誕生──ソクラテスをめぐる人々』(ちくま新書)をお薦めします。

 この本では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を出没年つき系図で紹介しました。

 僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。

(本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)