ソクラテスに批判的だった
アリストパネース

 しかし、ソクラテスが生活していたアテナイには、ソクラテスに対して批判的な立場の人も存在しました。

 たとえばアリストパネースです。

 アリストパネースという喜劇詩人は、ソクラテスが23歳の頃に生まれました(BC446頃-BC385頃)。

 彼は20代の前半に『雲』という喜劇を発表しています。

 このドラマのあらすじは、借金の返済に困った男が息子をソクラテスのところに弟子入りさせて、借金をなかったことにする弁論術を学ばせようとする話です。

 アリストパネースは、ソクラテスとその弟子たちについて、主人公に次のように言わせています。

「金を払いさえすれば、この人たちは弁論で、正しいか正しくないかおかまいなし、勝つ術(すべ)を教えてくれる」(『雲』アリストパネース著、高津春繁訳、岩波文庫)

 アリストパネースは、この喜劇でソクラテスをソフィストとして位置づけ、からかっているのです。

 ソフィストについては、本書で少し触れましたが、弁論術を有料で教える人たちです。

 元来は「賢い人」の意味でしたが、だんだん詭弁屋(きべんや)と呼ばれるようになっていきます。

「靴が破れるのはよいことではない。しかし靴屋さんにとってはよいことだ」といった屁理屈をつけて、論争相手の話の腰を折ってしまう。

 そして自分の主張を有利に展開していく。

 ソフィストたちが、なぜ詭弁を弄(ろう)するようになったかといえば、ギャラを支払ってくれた相手に論争に勝つテクニックを教えなければならないからです。