「言うべきことを言わない」から考えてみよう。言うべき――べきというからには、何かに照らして「すべきこと」が決まっているはずと考えられよう。では、その参照先とは何か。以下のようなものがありえる。
・職業倫理に照らして――金融事業者、またはシステム開発者(運用)としてのあるべき姿
・会社の経営理念や、行動指針に照らしてのあるべき姿
これらは一般的であり、おそらく金融庁の文書が言いたいのはこのことであろう。
しかしながら、組織の中の人間というのは、それ以外にもたくさんの「べき」に取り囲まれているのだ。
・(○○事業部と対抗する)○○事業部の一員としてのあるべき姿
・(○○派閥と対抗する)○○派閥のリーダーXさんの部下としてのあるべき姿
さらには
・子育てや住宅ローンにお金のかかる、一家の大黒柱としてのあるべき姿
これらのあるべき姿は、表向きは語られないが、実際のところは大変強い力を持つ。そして、これらは時として職業倫理や経営理念の求めるあるべき姿と真っ向から対立することもある。
そのような状況下にある組織の構成員に向かって、職業倫理や経営理念に照らして言うべきことを言え、と言ったところで、できるならとっくにしているのであって、そんなことは先刻承知、重々わかっていても、それができないからしていないのである。「職業倫理や経営理念に照らして」は、個々人に求めるのは厳しいものがある。「言うはやすし、行うは難し」の典型例といえるだろう。
たとえば、組織の中でマイナス情報を上げることは絶対的に好まれない。古今東西、およそ組織の体をなすものの上層部にとっての苦心は、マイナス情報をいかに上に上げさせるかに集約されるといっても過言ではない。多くの情報将校、インテリジェントスタッフが、トップの好まないマイナス情報を上に上げただけで左遷されたり、クビになったり、はなはだしきは斬首されたりした。どんな組織でも、余計な一言を言ったばかりに、トップの逆鱗に触れて職場を追われたという話の一つや二つはあるはずだ。ある情報を上に上げることが、いかに組織のためになるとわかっていようと、学費のかかる子どもの親としては、それを言ったばかりに路頭に迷うことになっては困るのだ。“言うべきことを言え”などと命じたところで、かしこまりました、と「言うべきこと」が上申されるわけがないのである。
マイナス情報を上げてほしいなら、「言うべきこと」などといった抽象論ではなく、具体的にどのような情報を欲しているか(NEED TO KNOW)を優先順位の整理を行った上で、トップ以下、各層の管理職が下に対して明確に定義する必要がある。好例としてはナポレオンの「午前二時の勇気」がある。
ナポレオンは、「寝室に退いたら、原則として我を起こすな。よい報告は翌朝でいい。しかし、悪い報告のときは、即刻我を起こせ。なぜなら我が決断と指揮命令がいるだろうから。不完全な報告で幕僚もいないときに決断を下す勇気を、我は『午前二時の勇気』と呼ぶ。その勇気において、我、人後に落ちず」と述べたという。(佐々淳行『重大事件に学ぶ「危機管理」』)
「言うべきことを言わない姿勢」を非難するのではなく、役員および管理職が「どんな情報を欲しているか、下の人間は何を言うべきか」をあらかじめ明確にして、部下に伝える。そして、可能な限り、情報を上げた人が不利益を被らないような予防措置を講じておく。そうやって、初めて情報は上にも伝わり始める。