だったら、お前が書け!

 あなたは“この状況”をどう受け止めるだろうか?

 私は、日本人として重く受け止めるべきだと考える。日本は何処にあり、日本人とは何者なのか――。

 この最も歴史的で、原始的なテーマに向き合うことに、私たち日本人は疎くなってはいけない。

 故サミュエル・ハンチントン氏(国際政治学者、『文明の衝突』著者)は著書『Who Are We?』(Simon & Schuster Press, 2004)のなかで、アメリカアイデンティティーへの挑戦(The Challenges to America's National Identity)を世に問うた。

 自己批判力。自己定義力。自己発信力。

 アメリカには、この3つ力が備わっていると感じている。人種のるつぼである移民大国アメリカだからこそ持つ、最大のアドバンテージだと私は考える。そして、この3つの力は、我が祖国日本が持つ最大のディスアドバンテージでもある。

「日本人」と『菊と刀』にまつわる私なりの体験談を、日本の有識者たちに話してみると、一貫して一致した答えが返ってくる。

「日本のことを全然知らないアメリカの人類学者が書いた本が、海外ではそんなに流行っているのか。時代遅れも甚だしい。いい迷惑だ」

 こうしたご意見を聞きながら、これまでは「そうですよね」という表情で相槌を打ってきた。私なりに空気を呼んで、自分を抑えながら、先輩方の面子を重んじてきたつもりだ。

 しかし、ここでは本音を伝えたい。

「じゃあ、なぜあなたが書かないのですか? そんなに言うなら、あなたがより客観的に日本人を説明する本をプロデュースすればいいじゃないですか?」

「だったら、お前がやれ!(DOY)」風に言うと、DOK(だったらお前が書け!)だ。

 そして、こう付け加えたい。

「そういう努力もしないで、頭ごなしに他者を批判して、説得力がありますか? 日本人が誤解されることの、少なくとも半分の責任は、相手に理解できるような発信をせず、ただ文句を垂れるだけの、過去を軽視し、現実を傍観し、そして未来をも突き放そうとする私たち自身にあるのですよ」

 中国では最近、「日本人は常にどこかに“世界の中心”を必要とする辺境の民」だと主張する内田樹さんの『日本辺境論』(新潮新書、2009年)が、名著『菊と刀』に次ぐ、日本人を描いた書として、読者たちに親しまれているようだ。

 私が2012年上半期に教鞭を取った上海復旦大学の書店にもずらりと並んでいた。学生たちは興味深そうに手に取っていた。

 この現状をどう認識し、納得するかは、私たちひとり一人の問題である。そういう中国・中国人とどう付き合っていくかということもまた、私たちひとり一人が今後ますます向き合わなければならない課題であろう。