「みんなに慕われるリーダー」を目指していないか?

受験が無事に終わり、先生に報告をし、あっという間に卒業式になった。みんな泣いて抱き合って写真を撮ったり、話したり、思い思いに過ごしていた。T先生は人気過ぎて、人だかりが出来ていた。

私はどうしても最後に確かめたいことがあって、順番待ちをして、なんとか先生と二人で話すことが出来た。

先生は川代、本当によかったねえ、無事に終わって、と、合格を改めて祝ってくれた。

私はしばらく世間話をしたあと、意を決してずっと気になっていたことを聞いた。

「先生、あの、ずっと聞きたかったんですけど……。もしかして、あの高校一年の二者面談のとき、母にあんなに厳しいことを言ったのは、わざとだったんですか?」

私にはひとつ、疑問があった。私の学校はわりと、マイペースで穏やかでおっとりしている子が多かったし、学年の雰囲気ものんびりしていた。生徒はほぼ100%大学に行くのに、高校一年の時点で「寝てるイメージしかない」なんて刺激の強いこと、いくら成績が悪くても、みんなに言っているわけではないだろうと仮説を立てていたのだ。

先生はまた大きな目でカッとこちらを見て、なんでもないことのように、こう言った。

「川代なら変われると思ったから。あなたなら私の言うことをちゃんと素直に聞いて、変わろうと努力できる子だと思ったし、それがあなたに相応しいと思ったから」

これほどに、自分の立場を捨てられる人にはなれない、と私は思う。

「生徒に好かれたい」と思うのが普通だ。誰だって、人に嫌われたくはない。まして先生ならば、生徒が慕ってくれるのは最高の喜びだろう。

もし私が先生なら、どうしても「生徒に人気の先生」を目指してしまうと思う。職場のリーダーだって同じだ。もちろん、自分の業務を淡々とこなすタイプの人もいるだろうが、たいていの人は内心で「みんなに慕われるリーダー」になりたいと思ってしまうだろう。

私だったら、「明るいクラスにしたい」「みんなが仲のよいクラスにしたい」と思ってしまうだろう。授業ひとつにしても、「生徒にどう思われるかな、嫌われちゃわないかな」と、いちいち気にしてしまうと思う。

けれどT先生には、そんな「好かれたい願望」は一切無かった。先生は、自分が生徒からどう見られるかなんてことには一切関心が無かった。きっと彼女にとっては、自分の立場なんてどうでもよかったのだ。生徒が成長できるか。生徒が何を求めているか。それが彼女の関心の対象だった。先生は、生徒のことを一人ひとりとてもよく見ていたし、ものすごい洞察力があった。フランクに生徒と話す人だったけれど、自分のプライベートなことはほとんど明かさなかった。T先生はあくまでも「先生」だった。何か乗り越えられない一線が、彼女と私たちの間にはあった。

どこまでも「先生」で居続ける。自分の欲や立場や名声は完全に捨てて、生徒にとって何が一番必要かを考える。ときには自分が悪者になる。自分が嫌われるかもしれないというリスクを背負ってでも、生徒を学力的にも、人間的にも成長させる。

責任のある仕事だ。人の一生を左右してしまう仕事。あそこでT先生に出会っていなかったら、無事に行きたい大学に行けて、こうして好きなことを仕事にすることもできなかっただろう。逆に、厳しくすべきでない生徒に厳しくしすぎてしまったら、その科目を嫌いになってしまう可能性もある。一番目立つようでいて、一番の黒子にならなければならない。

上に立つ。なんと難しく、苦しいことだろう。謙虚になり、自分を抑え、どこまでも周囲を主役にすることを考えられるのが、真の教育者であり、指導者であるような気がした。きっと必要とあらば、わざと自分を見下させることも出来るのだろうと思う。自分が笑いものになってクラスやチームを和ませることも。