予備校に通わずに早稲田現役合格を目指す
T先生は20年近くキャリアのある、ベテランだった。スラッとしたスタイル抜群の長身に、いつもおしゃれな服を着ている。大きな目は、目力が強すぎて、長く見つめることができないほどだった。担当科目はよりによって、私の嫌いな英語。前から「怖い」「厳しい」という噂は聞いていたが、まさかこれほどとは、と初めは母の言うことに、反応できなかった。
嫌いな英語だけでなく、他の科目もすべて平均点以下か赤点スレスレだったのだから、まあ、T先生のコメントは当たり前と言えば当たり前である。中学の頃よりはマシになったとはいえ、私が成績の悪い集団にいることは間違いなかった。そして、朝礼、授業、ホームルームでいつも寝ていたのも、紛れもない事実だった。
泣きそうな顔で二者面談から帰ってきた母から詳細を聞き、衝撃を受け、愕然とし。成績はとりあえず置いておこう、生活習慣を直すところから始めよう、と親子二人三脚で早寝早起き生活にシフトしていく生活が始まった。いつか、いつか治せばいいや……そう思って堕落した自分に甘んじていたことを、T先生は見抜いていたように思う。けれど夏休みいっぱいかけて、朝型人間になることができたおかげで、勉強の仕方が変わり、成績も徐々に変わっていった。
受験は本当に大変なものだった。学年ビリをとったことすらある私が第一志望の早稲田大学に合格するというのはかなり無謀な話だった。経済的な問題もあって塾や予備校に通うのは断念し、学校の先生に頼るしかなくなった私は、毎日金魚の糞のように先生につきまとって質問しにいった。
T先生には本当にお世話になった。というのも、私は英語が嫌いで苦手なくせに国際系の学部を志望していたからだ。音読がまるでできなかった。英語を使う学部に入ることなんて想像も出来ないほどひどかった。
私が授業で寝なくなってくると、T先生はそんな私の英語を一から根気よく教えてくれるようになった。ヘレンケラーにとってのサリバン先生のように、手取り足取り、どこが分からないのか一からかみ砕いて教えてくれるのだ。時間が許す限り質問にはすべて丁寧に答えてくれ、英作文を添削してほしいと言えばすぐに添削してきてくれた。それはクラス替えの後、先生が私の担任じゃなくなってからも続いた。私はそれこそヘレンケラーのように、学べば学ぶほど新しい世界が見えてくるのが面白くなった。私の英語嫌いは徐々に治っていき、次第に英語が得意とはいかないまでも、好きになっていったのだ。