『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら
[質問]
最近フォローさせていただいた者です。
批判することの是非について書かれている書物をよろしければご紹介いただけますでしょうか。
ツイッターを利用している中で、誰かが誰かの考えを批判するツイートを見かけることがあります。見ていて悲しいこともありますが、批判する人を批判するのも違和感があります。そこで、批判することの良し悪しなどについて書かれてある書物を読み、考えてみたくなりました。
批判と悪口の違いを理解しましょう。「批判」は学問の強力なツールです。
[読書猿の回答]
ご質問を一読し、どうやら自分が理解している「批判」と、ご質問で使われている「批判」とは別のことを指しているのでは?という疑いを持ちました。
それで思い出したのは「若者は『批判』という言葉を『悪ロ』や『人格批判』と捉えている」という次のまとめです。
https://togetter.com/li/1123889
まとめの中にあるように、批判を「悪口」や「人格批判」あるいは「場を乱すこと」と考える人は多く、若者だけではありませんが、私はあなたに「批判と悪口は別だ」と知ってもらいたいと思っています。
その理由の一つは、批判を悪口とイコールのものと考える人は、まさに自分が考えるようにしか、つまり批判を悪口としてしか活用できないからです。
そしてこれと関連した二つ目の理由は、悪口でないものとして批判を知ることができれば、およそすべての学問的営為の基礎である、とても強力な、批判というツールを活用する可能性が開けるからです。
学問的営為に何故批判が必要なのか。
その理由は、我々の自然な感覚や感情は、(我々の身の回りの日常生活にはそこそこ適応的ですが我々の感覚や感情は人類が進化したサバンナで高々150人程度の小集団生活に適応しています)、身の回りを越えた、普遍的な問題あるいは巨大で複雑な問題を取り扱うには、必ずしも向いていないからです。そうした問題を取り扱うには、自然な感覚や感情から我々の思考を一旦切り離し距離をとる必要があります。
自然な感覚や感情から距離をとった思考が可能となったおかげで、我々は生得能力だけでは運営できないほど巨大で複雑な社会を維持し、文明を築くことができました。
一方、この副作用として、学問が導き出す結論はしばしば、我々の我々の自然な感覚や感情から乖離したもの、水臭いもの、冷たく人情を解しないもの等として受け取られるのですが。
「悪口でない批判」の意義に重心をおいたので、その内容について、あまり触れることができませんでしたが、その役目は文献に譲ります。
第一推薦は『知的複眼思考法』です。他にも「クリティカル・シンキング」と題された文献は、ここで述べた悪口でない批判を取り扱ったものです。