日本は国際連合から人権問題についてさまざまな勧告を受けている(第219回)。要は、取り組んではいるが、「Too Little」だ。欧米の取り組みから20年くらい遅れている「Too Late」な状況でもある。そして、森喜朗五輪組織委員会会長(当時)の「女性の会議は長い」発言による辞任など、「昭和の老人」の価値観が社会を支配する「Too Old」な状況だ(第268回)。

 ただし、東京五輪で日本は、批判を浴びてはやり直すことを繰り返した。東京五輪は、日本が「人権感覚」や「多様性」と「調和」のある社会とはなにかを学ぶ場となった。

 一方、北京五輪では、中国が学ぶ場になるどころか、カネと権力でIOCの頬を張って、自らの価値観を押し付けたようにみえた。

 五輪開催前、新疆ウイグル自治区やチベットでの人権侵害、香港での民主化運動の弾圧などに対する抗議として、米国などが選手団以外の外交使節団を派遣しない「外交ボイコット」を断行した(第291回・p1)。

 しかし、中国は、弾圧と批判されても「中国社会を不安定化させるテロリストとの戦い」だと正当化した。我々は「大国」になった。我々が学ぶべきことはない。我々の「民主」があるのだというのだ(第295回)。

騒動に政治的な裏がある?「外交ボイコット 」した国もメダル獲得

 さて、議論を北京冬季五輪の「騒動」に戻したい。繰り返すが、「騒動」はスポーツの競技会ではよくあることだ。

 だが、例えばショートトラックスピードスケート競技のように、普段でも起こり得るような競技中の競り合いによる接触や転倒などが、必要以上に「大騒動」に発展した印象だ。接触や転倒などに下された裁定に、皆、簡単に納得しようとしなかった。

 選手やスタッフが不平不満を次々に口にして、もめ事が大きくなっていった。「ギスギスした空気」が大会全体に広がっていたようにみえた。

 明らかに尋常とはいえない問題も起きた。まず、ノルディックスキー・ジャンプ混合団体で、日本の高梨沙羅選手ら4チームの5選手が競技後の抜き打ち検査でスーツが規定違反とされて失格となったことだ。